10 EPWING発進 (坪倉 孝)

■国内の検索対象を片っ端から製品化する夢
 「電子出版」に出会うまでの10 年間、私は富士通の大型コンピュータのグラフィックス処理の企画を担当していた。入社して3 年目に富士通がCAD を手がけることに関与し、MDS(マネジメントディシジョンシステム)のために、端末にグラフを表示する仕事をしていた。ちょうど、入社10 年の1985 年4 月、パーソナルコンピュータ(PC)ビジネス事業への本格参入に参加するよう辞令が出て、PC 部隊に配属された。
 それは、1980 年にデビューしたワープロがOA(オフィスオートメーション)という言葉の代名詞のように使用され、PC のビジネス利用が本格化する直前のこと。やっと、ワープロ画面の文字表示が24 ドットに定着して読みやすくなった頃だった。次の年、「CD-ROM をワープロとPC の周辺装置として製品企画しよう」という上司からの誘いで、「国内の著名な検索対象(辞書やアーカイブ記事)を片っ端から製品化する夢」を追いかけた。
 CD-ROM に格納された辞書レコードをワープロやPC がレコードプレーヤ(この言葉も今となっては死語だが……)として使う環境を実現したい。富士通の製品企画の形では、実現性は低い。電機(器)、印刷、出版の業界を越えた協力でこそ実現できること。と、当初から、周辺装置の提供元であるソニーの副社長会議室(品川駅前のwing ビルにあった)をお借りして、社内で設計した仕様をベースにソニー、大日本印刷、凸版印刷の方々と、「ああもしたい。こうもしたい」と議論して、「CD-ROM 基本仕様書」を公開目指して議論した。CD-ROM の論理的な記録形式については、標
準化会議が開かれたホテルの名前にちなんで「ハイシェアラ」と呼ばれていたこともあり、対抗する意味も含めて「wing 規約」と呼ぼうということになった。公開する段になって、「商標登録」の課題があり、すでに電器製品分野で「wing」で商標登録をされていた日立のご理解を得て、「EPWING」という名前になった。富士通と日電が提供するワープロ・パソコン利用のCD-ROM 辞書とソニーの『電子ブック』との共通仕様が実現し、1992 年、電機・印刷・出版の各社から参加を得て、「EPWINGコンソーシアム」が発足した。

■ガラス原盤の苦労
 制作面で最初に思い出すのは「ガラス原盤」の苦労である。出版社や印刷会社の方々との共同開発で大型コンピュータで編集していただいた結果が、「ガラス原盤」と呼ばれるモノで届いて、検索ソフトとの「整合テスト」を行うのだが、「CD-ROM基本仕様書」の解釈のズレや処理ミスで不整合がよくあり、検索ソフト側で、どう違うのか、検索ソフトで対応するかデータを作り直すか「ガラス原盤」製造を挟んでの緊張の調整だった。メモリ空間は256KB、遅いCPU、遅いCD-ROM アクセスとい
う制約があり、開発者泣かせのプログラム環境だった。折角できあがった試作品を出版社の方々にみせた時に、「24 ドット文字では、辞書を正確に表現できない」と駄目だし、平行開発していた32 ドット文字モノクロ画面でA4 が縦にすっぽり表示できるディスプレイ機種でお見せして、やっと、正式に製品化への同意が得られたことも記憶に残っている。装置が普及しなければ、タイトルは作って貰えない。「鶏と卵」の板挟みの中で、開発費を支援して利益配分を行う形で欲しい辞書を実現したものもある。欲しい辞書を作るために、写植用のデータを出版社から借り出して、「逆引き可能英和辞典」を仕事仲間と試作して開発にこぎ着けたもの。CD-ROM に入る限り各種たくさんの辞書を盛り込んで、横通し検索を可能にした辞書など、ひとつひとつ辞書には思い出が詰まっている。

■CD-ROM辞書、デファクトスタンダードの実現
 レコードとレコードプレーヤの関係をいろいろな辞書の「事情」を選択解決しながら、「EPWING 規約」に集約する形で進めてきた結果、各辞書データは、その後のIC 辞書としても活用されることになる。「お蔭で、400 億円のIC 辞書の市場ができましたが、坪倉さんは儲けるのが下手でしたね」と、その後よく言われることになるが、「面白い仕事」をした証なのかも知れない。
 世界初のCD-ROM 標準搭載PC「FM-Towns」、「日本初のデファクトスタンダードのJIS 化」X4081(EPWING のJIS 規格)だけでなく、文字フォントの開発、住民基本台帳ネットワークシステムにおける文字連携の設計への関与も、EPWING をキッカケに、業界を越えた「電子出版」での皆さんとの交流のお蔭で「面白い仕事」をさせていただいたものと感謝している。
 「電子出版」で交流させていただいた方々は、ほとんど引退されてしまった。今、「検索」と言えば、「インターネット検索」が主流になってきている。「『EPWING』に比べると検索してもなかなか思う記事に行き当たらない」と考えるのは、「EPWING」を担当した私の「色眼鏡」なのだろうか。先日、買い物検索サイトの会社の社長と話す機会があり、「やはり、人手を入れた編集ですよ」と言ってくれた。
 インターネットマーケティングの仕事に移って8 年になる。「あと一仕事」何かできないか、いい歳をして、また、「面白い仕事をしたい」と夢が膨らんでいる。

◎坪倉 孝(つぼくらたかし)富士通からJEPA に参加。