16 史上初の読書端末「デジタルブック」 (西田克彦)

■「イエス!デジタルブック」
 「読書をプレイする」これがデジタルブックのキャッチフレーズ、すなわち「読書の新しいスタイルの創造」がコンセプトでした。
 2008 年4 月に12 年ぶりに現役復帰し、6 月には早くも東京有明国際オープンのシングルスで優勝したクルム伊達公子さん。テニスウェアの愛くるしい伊達公子さん(当時24)がにっこり笑って「イエス!デジタルブック」とTV のCM に流れることが決まったときには、これでデジタルブックの成功も間違いなさそうだと思ったものです。

 それというのも、1993 年11 月の発売までに、JEPA に加盟しているたくさんの出版社、新聞社、印刷会社のみなさんの驚異的なご協力によって、出版ソフトが発売当初にしては破格の80 タイトル以上が用意され今や遅しと書店・電気店への出荷が待たれていたのです。
 私がこのプロジェクトに参加したのは1991 年でした。最初に見せられたハードはフロッピーディスク一体型でちょうど小学生のお弁当箱くらいの大きさでした。ソフト制作会社の方のご意見を取り入れて、フロッピーディスクドライブを別にした読書プレーヤーで発売にこぎつけ、最終的にはもっとスマートで、これなら持って歩いても何とか様になるプレーヤー写真になったのです。
 デジタルブックのコンセプトは「読書の新しいスタイルの創造」ということで、辞書機能を持った電子ブックのようにキーボードを持たず、片手で読書できること、文庫本1 ページくらいを大きめの文字で、大きい液晶画面で読めるというのがセールスポイントです。出版ソフトは制作にかかる費用も販売価格も安価にでき、当時もっとも普及していたフロッピーディスクを採用しました。付加機能として、ハイパージャンプ、マーカー、マスク、しおり、検索、画面や文字の拡大、切り抜きなど豊富な機能。ソフトも豊富に、文学・小説・エッセイ、ビジネス、辞書、辞典、学習、芸術、スポーツ、釣り、囲碁、将棋、占い、クイズなど多くの分野の電子書籍がラインアップされました。
 こういった商品はソフトが命。デジタルブックはソフト商品と同じ感覚で売らなければ成功しません。ソフト商品はタイミングを逃したらダメ。ということで伊達さんのテレビコマーシャルも、週刊誌や新聞記事、店頭へのディスプレイ、品揃えも発売日がピークになるようすべての準備をしました。

■発売まもなくの品切れが
 はたして発売当日11 月25 日の主要電気店での売り上げは上々でした。
 しかしなんとほとんどの店で発売まもなくプレーヤーが品切れを起こしたのです。私の膝元であるNEC の考え方発売の仕方がデジタルブックはソフト商品と同じ感覚で売らなければという文化になじまず、パソコンと同じような考えで販売をしたのです。

 パソコンのような商品は品切れになってもお客さまは購入を待ってくれますが、デジタルブックはちがいます。商店を(店先を)覗いたときにそこに品物がなければお客さまは2 度と買いにきてはくれません。本の選択動機も店頭で見てがほとんどですがそれと同じです。
 パソコンのような流通の考え方ではデジタルブックビジネスは成功しません。私がNEC のパソコングループにデジタルブック= ソフト商品としての考え方を充分に説得できなかったことが原因です。
 デジタルブックの発売以来、日本を代表する多くの出版社、新聞社、印刷会社のご協力により200 点以上の様々なジャンルの書籍がデジタルブックになりました。
 たとえば、文学・小説・エッセイでは「折々のうた」(大岡信著、岩波書店)、「飛ぶ男」「砂の女」「闖入者」(阿部公房著、新潮社)、「なんとなく、クリスタル」(田中康夫著、新潮社)、「天声人語」(朝日新聞社)、「迷路館の謎」(綾辻行人著、講談社)などです。
 その後通信機能を持たせる研究や新しい用途の開拓などを模索しましたが一度離れてしまった顧客はよほどのことがなければ振り向いてはくれません。
 そうしたなかでデジタルブックのインタラクティブな機能を活かしたジャンル、囲碁、将棋、麻雀、テトリス、オセロなどのゲームソフトは評判を呼びました。特に囲碁マシーンとしてソフトも充実し一定のファンを獲得、プレーヤーとソフトをパッケージにした「デジタルブック囲碁セット」が順当な売れ行きを示し、一応の成果を挙げました。
 JEPA の方々はデジタルブックの開発段階から、顧客の立場に立って、真剣に考えてくださいました。ハードのスペック、出版ソフトの企画・制作・価格、流通経路の道筋、契約書まで、本当に親身になってのご指導・ご支援をいただきました。たいへん感謝しております。
 デジタルブックの一連の流れをみてみますと、文化の異なるソフト会社とハード会社のあるべき姿、流通のあるべき姿、どうあったら成功するかなど、今になってわかった気がします。思い返しますと、デジタルブックを読書端末と呼び、端末と打ち出したところから一般の読書ファン(ハ―ドファンではありません)には第一印象が固かったようです。音楽を聴くハードには端末などという名称は使わないですね。
 これらの貴重な経験を積んだことで、史上初の読書端末としての役割は、充分に果たせたのではないかと思います。先日10 数年ぶりにデジタルブックを持って山手線を一周してみました。なるたけ人目のつくドア側に座って麻雀ソフトと速読ソフトをやっていましたが好奇の目を向けた人はかなりいたものの残念ながら声はかけられませんでした。
 クルム伊達公子さんが12 年ぶりに再デビューして大活躍されていますが、市場に出すのが10 年早かったデジタルブックの再デビューはあるのでしょうか。
 現在私は、文化施設の指定管理者として、葛飾区の3 つのホールの運営に携わっております。年間80 以上の公演を企画・制作・運営しておりますが、お客さまの多様なニーズを的確につかみコンサートを企画、アーティストとの出演交渉、リーズナブルなチケット価格の設定と宣伝広報をし、当日をドキドキワクワクしながら迎えます。正にこれもソフトビジネスです。公演にご来場されたお客さまが帰られるときの満足された顔を見るたび幸せな気分を味わっております。

◎西田克彦(にしだかつひこ)日本電気からJEPA に参加。