17 電子書店ことはじめ (天谷幹夫)

 「あなたはそんなところに、なぜ行ったのですか」
 『………』
 「だいたい、こういうところの人は権利ばかり主張して、私らがどんなに苦労しているか知らないのです」
 『………』
 「あなたが、そういうことをすると困ることになるのです。うちは絶対協力しませんからね」
 『………』
 某大手出版社の部長は、私が数こと説明しただけで怒り出した。こちらがそんなつもりはなかったと釈明しても、けんもほろろに受け付けてもらえなかった。
 なぜ怒られたのかよく分からず、池袋の四畳半一間の事務所に戻って、二つしかない椅子の一つに腰掛けて考えても、むしゃくしゃするばかりである。窓際の赤茶けて古ぼけた年代物の冷房機が、ゴオンゴオンうなっている。この雑居ビルでは、狭いところに100 もの個人事務所がひしめいていて、どの部屋にもこのうるさ型の冷房が備えてある。
 ここを借りて会社の登記をしたのは、1995 年初め、身もつく寒さの2 月であったが、今はうだるように暑い8 月の終わりであった。手帳を取り出して、今までに回った出版社の数を数えてみたら48 社であった。中には3 度も4 度も同じ出版社に行ったが、あれこれダメな理由をつけられて何の進展もなかった。
 紙の本を電子化してパソコン通信のホストサーバに掲載して、読者にパソコンで読んでもらおうという構想を立てたのは、1 年前の冬であった。あれからもう1 年半になるのに、1 冊の許諾も貰えていない。ビジネスとしてありえないこと、誰にも受け入れられないことを自分は考えたのであろうか、不安が頭をよぎる。ケンタッキーフライドチキンのカーネルサンダースは、事業資金を集めるのに999 人の人に説明し、999 番目の人にめぐり会いやっと受け入れられたという話を思いだし何度も心に言い聞かせた。どの出版社の協力も得られなかった場合を考えて、著作権の切れた夏目漱石や芥川龍之介の作品をそれぞれ20 冊ほど、外注先で紙の本から電子データに変換してもらっていた。こんなことをやっているのは、日本でもきっと自分達が初めてだろうと陶酔する反面、こんなに資金を投下して、もし一人も読んでくれなかったら自分達はおおばか者だろうと思ったりもした。
 それなら著者に直接頼んでみようと決心したのが2 カ月前であった。出版権の2次利用を許諾する著作権団体があると聞いて麹町の近くのビルを訪れた。何度か訪れ、構想説明を繰り返して、全面的には協力できないが、実験のためという条件付で数冊の本を電子化する著作権許諾をようやく貰えたのが先週であった。それで出版社の了解も取りつけなければと思い、訪れたのが先ほどの大手出版社であった。それがにべもなく断られて、また振り出しに戻ってしまった。
 電子データを掲載するホストサーバは、新宿のベンチャー会社が開発したパソコン通信の電子会議システムを流用することにしていた。電子会議とは、ホストサーバにアクセスした参加者が自分の文章を電子掲示板に書いて、お互いがメッセージを交換するシステムである。この掲示板に、小説の内容を章ごとに分割して掲載し、順番に読者に読んでもらおうという計画であった。本当は、電子データをダウンロードする専用のサーバがあったら良いのだが、それを開発したら数千万円の投資になってしまう。「誰がパソコンで本を読んだりしますか? 本は紙で読むものですよ」と行く先々の出版社で言われているのに、そんな大きな投資はできない。システムの準備は春から進めていて、10 月には電子書店を開始しようと計画していたが、肝心の本のデータが1 冊も集まっていない。心はあせるばかりであった。
 それから半月後のことであった。
 「いいですよ。これは本当に著者さんのためになると思います」
 『はあ……』
 「今は、みなさん(著者さん)本が出せなくて、これもあれも品切れになってしまうのです」
 『そうなんですか』
 「少しでも著者さんの役に立つなら、うちは別になくても(出版者の取り分が)いいくらいです。みなさんに話してみましょう」
 『ありがとうございます』
 中堅出版社の狭い会議室の一室であった。えくぼがくっきりとにこやかな笑いを浮かべて答えた女性編集長の顔が女神に見えた。事務所に戻る山手線の窓に流れる景色がこんなにも生き生きと見えたのは初めてであった。
 それから2 週間後、6 人ほどの著者の許諾が得られ、15 冊の本が電子化できることになった。編集者と著者の絆はこんなにも強いものかと感心した。さらに別の出版社からもシリーズ20 冊の許諾が得られ、電子書店の開始の目処がついたのはその年の11 月であった。電子書店のオープン時には、新しく加わった4 人の仲間とともに、狭い事務所の片隅で喜びの祝杯を揚げた。
 それから10 年以上の月日が流れ2008 年、全面窓ガラスから入る春の日差しが眩しい、とある新興ビルの一室です。「おかげさんで先々月入れさせていただいたコミックは、2 万冊いきましたよ」、と微笑むのは某出版社の編集部長さん。
 『えっ、そんなになりましたか』
 「社長もこの数字には驚いています。電子がこんなに出るなんて」
 『おかげさまで、昔とは様変わりです。どの出版社さんも電子に興味を持たれて、
今では9 万冊の品揃えです』
 「何か秘訣でもありましたか?」
 『いや何もありませんよ。毎日同じことを繰返していたら、周りが変わっただけです』
 「………」。
 きっとそうだ。この後も、またその後も、自分がいようといまいと、世の中はどんどん変わって、今に、紙の本が大英博物館に飾られる日がやがて来るだろうことを私は確信する。

◎天谷幹夫(あまやみきお)パピレスからJEPA に参加。電子書店の草分け。