電子出版のデスクトップ11

金太郎飴


 どこを切っても同じ顔が出てくる金太郎飴というものはご存知かと思う。最近、電子コンテンツが金太郎飴のように同じ顔つきをしていることが気になってしようがない。
 ネットワーク上にいろいろな電子本が揃いだしてきた。私も電子本をダウンロードしては楽しんでいる。その結果、蔵書というか蔵コンテンツもずいぶん溜まった。そこで私のパソコンのハードディスクの中に、読んだ本を入れておくフォルダーを作って見た。いわばバーチャル本棚だ。
 私は乱読派なので内容は古今東西種々雑多。古典小説もあれば、現代小説もある。推理小説もあればもちろんポ×ノもある。そんな雑多な本を詰めこんだ本棚フォルダーなのだが、実際にフォルダーを開いてもそこには何のバラエティーもない平板な風景が展開される。
 原因はファイルのアイコンにある。種々雑多な本が詰まっているにも係わらずアイコンはたったの数種類。恋愛小説でも推理小説でもアイコンが変らない。現在の電子出版ではコンテンツ・ファイルのアイコンは内容に係わらず書籍ビュアーのアイコンになってしまうからだ。
 電子本そのものは紙で読もうがディスプレイで読もうが面白いものは面白く、つまらないものはつまらない。ところが読み終わって電子本棚に収めたとたんに、それらの本が形も色も厚さもまったく同じ本になってしまう。これはひどく興ざめな話ではないか。
 誰でも大なり小なり本棚を持っている。そしてそこには大小様々な本が並んでいる。厚い本もあれば薄い本もある。大きな本もあれば小冊子もある。がっちりと装丁された本もあれば、気軽な軽装本もある。色も様々、背文字も様々だ。
 人の本棚を眺めることは楽しみだ。人の本棚にはその人そのものが伝わってくるような味わいがある。本の「背」が集合となってかもし出す雰囲気はその人の読書の個性的風景といってもよい。
 自分の本棚を眺めるのも楽しみだ。大小さまざまな本の背を眺めていると、自分の知識や考え方が育った歴史をたどることが出来るような気がする。感銘を受けた本は背文字を一目見ただけで、感動が瞬時によみがえってくる。読もうとして途中になっている本に目が止まり、また挑戦することもあるし、再度読み返して新しい発見をすることもある。
 同じ本を二度読むことは珍しいことなのだが、不思議に本は捨てがたい。それはこういった本棚の不思議な機能があるためではないだろうか。
 本棚では派手に化粧を施した表紙が見えるわけではない、ごく小さな「背」が見えるだけだ。しかしその小さな「背」、色、模様、背文字、一冊一冊実に個性豊かである。ためしに手近な本棚を見てもらいたい。小さな「背」が表紙に負けず劣らず個性的にデザインされていることに驚かれると思う。
 本棚の持っている不思議な機能はこれら「背」達の作り出す機能だ。単なるブックリストと本棚は別物である。ましてどんな本でも同じマークになるなど論外なのである。
 電子本の世界でも自分の読んだ本を並べておけるバーチャル本棚が必要だ。そのためには、それぞれの電子本に工夫を凝らしたアイコンが必要だろう。バーチャルな本棚では書名や著者名による配置換えも可能だろうが、むしろ自分なりに本を配置する機能が優先されなければならないだろう。本棚は自分独自の知的イメージを膨らませるデザイン装置なのだから。
『情報管理』Vol.42 No.11 Feb. 2000 より転載

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