電子出版のデスクトップ26

誤字を作った話


 昔から漢字の書き取りで良い点を取った覚えがない。だから文字の話をするのは苦痛なのだが、電子出版などという仕事をしているとどうしても文字の議論の渦中に入ってしまう。
 文字議論の中心点は異体字といわれるものである。この字とこの字は単なるデザインの差だから区別しないとか、拡張新字体は誤字だから収録すべきでないとかである。それにしてもたいへんな量の異体字が世の中に存在している。渡辺の辺などに至っては人名で十種類以上存在しているというからたいしたものである。
 なぜこんなに文字があるのかという疑問に対してふたつの説がある。ひとつは人名に顕著なように自分だけのユニークさを求めた結果だという「字の創作説」。もうひとつは単に間違えて書いたり紛らわしく書いた文字が流通し定着してしまった結果だという「誤字の定着説」である。
 創作説では、本家に遠慮して分家が「しんにゅう」の点を少なくしたとか生々しい話も飛び出すが、永井荷風の『さんずい+墨東奇譚』のさんずい+墨の字のように純粋な創作によるものもある。
 後者の誤字定着説は証拠を挙げるのが困難だ。でも説得力はある。手書き文字では書き手の癖や間違いによって文字が思わぬ変化を遂げて伝わることは容易に想像がつく。
 さて昨今はJIS外の文字についても大いに収拾しコード化をしようという動きが盛んである。電子出版をしているとJISの表外字には悩まされるのでたいへん結構なことだと思っている。こういった収集作業では、実際にその文字が使われているという典拠を確認する必要がある。この典拠のひとつとして印刷物が使われる。印刷物で使われている以上誤字ではない蓋然性が高いと考えられるからだろう。
 印刷物は何人もの目を通って出版されるので、そこで単なるる誤字が出現する可能性は少なくなる。だからこの基準自体は正しいと思われるのだが、実は私は印刷物で誤字を作ってしまったという事件を知っている。
 某社のある本のことである。そこで「罪」という文字は古くは「自」と「辛」を組み合わせた文字だった、という話を著者が書いた。もちろんそんな文字は印刷所にもない。そこで作字が行われた。その作字の行程で間違いが起こった「自」を「白」と間違ってしまったのだ。作字が間違ったのか原稿が間違っていたのか古い話なので確かめようもないが、出来あがった文字は「白+辛」となっていたのだ。罪の古字
 作字をしているのだから注意深く校正しなければいけないはずだが、なぜかチェックが通ってしまった。もしかしたら印刷汚れや紙のゴミが「白」と「自」の一画を補ってしまっていたのかもしれない。どちらにしても刷り上がった本は誤字を載せてどうどうと発売された。その後何年も経って、電子化する場面で再度作字が行われ誤字であったことが判明したのだ。
 ということで、実は印刷物の信用性といっても手書きよりは人の目が多く入っているというだけであり、チェックするのは人間だから間違いはやはり起こる。出版した方とすれば恥ずかしい話だが、必ずしも珍しい話ではないのである。
 幸いにしてこの誤字がJISや文字鏡に収録されたという話は聞かない。でも印刷物を典拠とするというルールの中ではこの誤字も収録された可能性がなしとはしない。もし引用されたり孫引きされたりして、この誤字がひとり歩きを始めていたら本当に「罪」作りな話だったろう。

罪の古字は「今昔文字鏡」のビットマップを使用しました。
『情報管理』Vol.44 No.4 July. 2001 より転載
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