これこそ本?

1998.06.01

新潮社  西村 洋三

 いくらインターネットばやりだかっらといって、いまの日本では、ネット上で 発表された小説が権威ある文学賞の候補になるなんてことは、まず考え難い。と ころが、先日、『ニューズウィーク』誌を読んでいたら、海の向こうのイギリス で、今年度のブッカー賞候補にインターネットでしか発表されたことのない小説 がノミネートされて、ちょっとした話題になっているという。
 「これでも本?」という見出しのついた同誌の記事によると、問題の作品は、パト リシア・ルロワという女性作家の『ロシアの天使たち』。その内容は、
 <ある書評では、「壮大な現代史ロマンス。印刷されていたら、ページをめくる のももどかしいほどの面白さ」と評されている。だが、これは「本」と言えるのだ ろうか。 ブッカー賞事務局長のマーティン・コブによれば「本とは表紙と裏表紙の間にた くさんのページが挟まっているもの、というのが辞書の定義。しかし時代が変わ れば、他の定義も出てくるだろう」という見解。>(『ニューズウィーク日本版』 6月10日号)
 どうやらこの記事を書いた記者は、従来の「本」という体裁にこだわっている ようで、「(ブッカー賞の)栄誉に輝く小説には、これまで「印刷物」という共通点 があった。だが、もうじきそうとも言えなくなるかもしれない」と嘆息している。 パソコン上でしか読めないものが権威あるブッカー賞の対象になり得るのかとい う疑問が捨て切れないらしく、「これでも本?」と問うているのである。
 それでは、この「本」ではない小説を読むには、どうすればいいのか。その作品 を載せているホームページ(www.onlineoriginals.com)を覗いてみると、仕組み はこうである。
 「作品」のページを開くと、収録作品がずらりと並んでいる。興味をひいたタイ トル名をクリックすると、簡単なあらすじや著者紹介が載っており、さらに詳し く知りたい読者には、サンプルとして作品の何章分かを読めるようになっている。 それで気に入ったら、E-mailで注文すれば、全テキストデータがこれまた E-mailで送られて来る。このデータを「アクロバット・リーダー」というフリー ソフトで開いて読むのである。価格は一作品につき、4ポンド(7米ドル)。クレ ジットカードで支払う。
 ざっと以上のような具合だが、提供者である「オンライン・オリジナルズ」社 は、「なぜインターネット出版か?」について、次のように宣言している。
 〈旧来の出版はここ数年で、大きく変貌した。ほとんどの出版社はいまや一握り のコングロマリット企業に独占され、かれらの商業主義によって牛耳られている。 高い利益を得るために、かれらはマス・マーケットに迎合する人気作家の原稿し か受け付けない。「オンライン・オリジナルズ」はこれに対抗し、革新的な創作 活動の実現をめざす。〉
 編集者の気負いに満ちたマニフェスト。青臭いと感じる向きもあるかもしれな いが、その意気やよしとしたい。こうした経緯から生まれた作品が伝統あるブッ カー賞の選考委員たちにどう評価されるか、大いに興味のあるところ。選考結果 の発表は9月になるという。