電子出版の夢とともに30余年

2012.03.01

トモどっとコム  梅津 幸一

 電子出版関連で、我が家の何が変わったのだろうか。
 辞典類は、電子辞書の出現で書棚の片隅に追いやられ、今では手に取ることもなくなった。さらに、パソコンを日常的に使うようになってから、電子辞書も引き出しに眠っている。
 ドライブが趣味だったので、日本各地の地図を積み込んでいたが、カーナビが充実するにつれ、それらは車内から消えていった。長い間、録画予約のために年間購読をしていたテレビ番組誌も、数年前から継続を打ち切った。月刊誌、週刊誌も消えている。かつては数紙とっていた新聞も1紙だけとなり、インターネットの充実に伴い、今では切り抜きもしない。
 思いめぐらすと、単に便利なだけの時代には新旧ともに併用していた。やがて、“すごく便利”までに進化すると、取って代わった。
 本棚を眺めてみると、実用書、図鑑、資料関連が減り、小説類が領土を増やしている。もっとも、純文学ではなく推理小説の類ではある。驚くことに大半が文庫版で、書棚のアキを埋めるべく平積みされている。奥行まで活用されており、背すら見えないものもある。文庫という定型が主流の我が家では、読書端末の“定型画面”で読む時代が近いようだ。
 成人式を3度迎えて数年経ち、介護施設や病院での生活に入る時期も近いだろうから、新刊本も含めてネットでの品ぞろえが充実する日を1日でも早く望みたい。
 電子出版に関わり始めたのは、当時勤めていた会社の日陰者同士で飲んでいた居酒屋からだった。ミニフロッビーディスクが売れ行き不振のために、総代理店を返上したとの暗い話を耳にした。聞き流していたのだが、価格1枚1千円強の原価は100円を切っているという。翌日から、「FD出版」と名付けて出版社へ訪問を開始した。
 当時、BASIC言語が花盛りだった。「動作を確認しているプログラムが著者にあるから、編集長の負担にはならない」「高価なフロッピーを付けることで、読者の値安感が期待できる」などが売りだった。
 まだ3.5インチは出現しておらず、5.25インチの時代である。書籍に添付するのに最適な記録媒体だった。国内調達では間に合わず、アメリカから調達するほど、ブレークした。「フォーマットすれば、通常のフロッピーとしてお使いいただけます」のキャッチコピーは、問題があるとかですぐに外されたが。
 気を良くして、次にコンパクトディスクを書籍に付ける形態を「CD出版」と名付け売り込んだ。百人一首の音声頭出しが2ケタの「99」に苦労したりしているうちに、8センチCDをゲーム攻略本に添付、こちらもブレークした。CDのプレスラインが1時間1千枚程度の時代である。50万部ほどに添付するのだから、あらゆるメーカーのラインにお願いしても発行日ギリギリの状態であった。次々と出る攻略本に、プレスラインの確保に苦慮したのも楽しい思い出となった。
 媒体は、CD-ROM、DVDへと移っていった。FDであれ、CDであれ、CD-ROMであれ、物体のある時代は実に分かりやすかった。買う側も所有欲が満足された。
 電子出版の未来は、さらに輝くはずだった。ちょつと違う未来が待っているとは、微塵も感じなかった。
 NEC「デジタルブック」、富士通「EPWING」、ソニー「電子ブックプ」、コダック「フォトCD」、松下電器産業「シグマブック、ワーズギア」、ソニー「リブリエ」などのコンテンツ製作に参画させていただき楽しかったが、ブレークとまではいかなかった。
 時代の主流がネットに代わり、出版業界の思惑とは別に、多岐、多方面にわたって進化し始めたものの、医療や法律、音楽、不動産などの専門分野を除けば、黎明期、模索が続いている。
 FD出版時に想い描いた夢も実現できなかった。英和辞典に音声が付くようになって“すごく便利”になったが、「利用者の地区や属性、その時の季節、月日、時刻」などに連動していない。
 「オリオン星座」の項目は、その時刻に利用者の場所において、どの方向で、どのような形をしているのか、までは示してくれない。男の子が大好きな「カブトムシ」も、その時期の発育状況までは教えてくれない。東北地方の名物「いも煮」ではレシピにもリンクされていない。静止画だけでなく動画も欲しい。
 動画サイト「YouTube」には、あらゆるレシピや、故障など困ったときの対処法などが揃っている。ブログという膨大なコンテンツも公開されているが、出版というコンテンツとは、まったく違う。
 編集という技術によって、芸術にまで高められていないからである。
 地方都市では、大形書店の出現により、街の本屋さんが消えているといわれて久しい。郊外の大型書店には、自動車がなければ行きにくく、本に慣れ親しんでいる年配者に影響が大きい。その大型書店が経営の都合上、撤退した地区からは本屋が消えてしまう。より使い易くネットが充実されれば、この問題も解決しそうである。近々人口の4割を占めるといわれ、時間の余っている年寄りが戻ってくるだろう。
 友人からは、ネットで注文すれば翌日届けてくれるのに、本職の本屋に注文すると1週間かかるのは、なぜかと問われた。最近のクリーニング店のように、朝に注文したらと夕方には受け取れるように、すべきではないかと。
 教師をしている後輩からは、同じ出版社の辞典なのに、メーカーによって表示される漢字の形が変わるのはなぜなのか、なぜ同じ形に表示されないのかと問われた。
 昨年から、ひっきりなしにテレビや新聞などで読書端末によって社会が変貌すると報道されるが、具体的にどう変わるのかは加えられていない。
 過去に電話という通信革命の時代があり距離間を解決したが、1対1、同じ言語での会話であった。ネットは多言語でも翻訳し解釈する時間を与えてくれる。今までのような日本という狭い空間内には囚われないだろう。
 出版社には、長い年月に裏打ちされた「出版資産」がある。
 輝く未来への足音も実感しはじめ、勝どきも届くようになった。
 いずれは、あらゆる書籍のジャンルで、“すごく便利”なネット上の活用方法が見いだされると信じている。
 JEPAが一助になれば幸いである。