新媒体と電子辞書

2013.08.01

大修館書店  飯塚 利昭

 将来へ向けての発言をすべき本欄で昔話をして申しわけないが,1980年のこと,書協(日本書籍出版協会)で「新媒体研究会」という研究会が発足した。「こういうのは若い人に出てもらおう」という会社の意向で,当時まあ「若い人」だった私がその係になり,月1度ぐらいの会に出席するようになった。座長は前田完治氏(三修社)で,後にJEPA会長をつとめる前田氏には異例の若さで(?)顔を覚えていただいた。「新媒体」というのは new media の訳で,紙以外の媒体を指す(ニューメディアというカタカナ語はまだ定着していなかったように思う)。当時,家庭用のビデオデッキは出ていた(VHSとベータの規格競争をしていた)が,オーディオCDは実用化前である。紙以外で出版社が商品化していたのは,音声のカセットテープによる語学教材ぐらいだった。
 この「新媒体」は,直接には音声や動画の媒体として考えられたが,これとは別に,また現在の電子書籍への流れとも別に,辞典については,早くからいろいろな形の電子化が行われてきた。8cmのCD-ROMという当時としては新しい媒体を使ったほとんど辞書用の端末「電子ブックプレーヤー」の発売は1990年,ちゃんとした辞典がまるごと入った固定メモリの電子辞書は1991年のSII(当時はセイコー電子工業)の『研究社新英和・和英中辞典』が最初である。
 出版社は昔も今も,自社で企画・開発したものを,自社で本にして(実際の製作は印刷所や製本所に委託するが),定価を決めて,(主に取次経由で)販売するのが原則である。それが,電子辞書で初めて,本の中身を他社に提供し,他社の製品として販売されるという経験をすることになった。
 小社の場合,大手の印刷会社や広告代理店との取引はあったが,電子辞書の会社と話をするようになって,大メーカーのビジネスの方法に初めて接した。それまでは,「秘密保持契約(NDA)」とか「瑕疵条項」といった言葉も知らなかったのである。 今JEPAでは,東京理科大学の近代科学資料館に寄贈するために,古い電子辞書や辞書端末・読書端末の収集・整理を進めている。先日,集まった電子辞書の動作や表示の確認をした。最初期の20年以上前のものは,今のようなすっきりした感じや精悍さはなくて,全体にずんぐりして無骨だが,遅いCPUや少ない字数の液晶で辞典の中身を表示する工夫をするなど,新しい分野の製品を作り出そうとして奮闘した人々の意気込みが伝わってくる。
 近代科学資料館で今度の寄贈品が展示されるのはまだ先になるようだが,JEPAの活動がこうして目に見える形になるのは楽しみなことである。
 上記の新媒体研究会の例会で今も覚えているのは,発売前だったレーザーディスク(LD)のデモである。パイオニアの人が数人でやってきて見せてくれたゴルフのレッスンのLDの画面は,当時のテレビの水準よりはるかに鮮明で驚嘆した。「CD以前」だから,銀色に輝くディスクを見るのも初めてだった。
 ちょっと不思議な気もするが,LDはオーディオCDより早く商品化された(LDは1981年,CDは82年)。しかし,CDは音楽以外の媒体にもなって今も「健在」だが,LDは実質約20年でその使命を終えた。