『はだしのゲン』が示した電子出版の役割

2013.09.01

大日本印刷  池田 敬二

中学生からのインタビューで「電子出版」を再考
 世田谷区立の中学校に通う姪から電子出版に関するインタビューを受ける機会があった。世田谷区が中学二年生に課している「日本語」をテーマに4000字のレポート制作のためであったが「電子の本にしかできないことは何か」「紙の本にしかできないことは何か」そして「電子出版の出現で日本語はどのように変化していくのか」という本質的で鋭い質問が矢継ぎ早に繰り出され、電子出版とは何なのかということを再考するいい機会になった。
 電子にしかできないこととして、書店に足を運ばなくても買えること、リアルタイムに不特定多数の読者と読書体験を「共有」「シェア」するソーシャルリーディング、自分が読みやすいフォントを選べること、文字を拡大、縮小ができること、TTS(Text To Speech)という機能を使った音声によるアクセシビリティ機能などを上げた。一方、紙の本にしかできないこととして、物体としての価値、著者からサインを貰うこと、献本できることなどを上げた。
「深夜特急」と「はだしのゲン」が示した電子出版の役割
 アマゾンのKindleが日本でも発売になったのは昨年10月であったが、興味深い現象が起きた。沢木耕太郎の「深夜特急」という1986年に出版された作品が売上の上位ランキングに入ったのである。1984年に産経新聞での連載がこの作品の初出なので約30年前のコンテンツが電子化によって「売れる」コンテンツとして「再発見」されたといえるだろう。
 そして松江市教育委員会による閲覧制限で話題となった「はだしのゲン」の電子版の売上が急上昇したことも話題になっている。私自身は昨年12月に広島出張があったので平和記念公園、広島平和記念資料館も足を運んだ。その数日後に「はだしのゲン」の作者である中沢啓治さんの訃報に接し、hontoで全巻をダウンロードしてiPadで読了しました。例年この作品は、終戦記念日の8月15日に販売が集中するそうですが、「eBookJapan」を運営する株式会社イーブックイニシアティブジャパンによると昨年の同時期の12倍に拡大したとのこと。紙の本でも3倍近い売上増を記録しているそうですが、電子の跳ね上がり方は今後の電子出版の役割の一つを象徴しているようでたいへん興味深い現象といえます。
過去の膨大なコンテンツからヒット作を「再発見」
 新刊のラインナップをいち早く揃えることが電子出版市場の拡大の早道であることは確かにその通りであると思います。講談社やKADOKAWA、新潮社などの出版社が新刊の電子化を拡大する方針を打ち出していることは電子出版の市場拡大に大きく寄与すると期待しています。
 一方、「深夜特急」や「はだしのゲン」の例に見られるように過去の膨大なコンテンツの中から、ヒット作を「再発見」するという方向性も電子出版の大きな役割のように感じています。電子にすることによってリアルの書店店舗とは違って在庫スペースは無限に広がることを意味します。紙の本ではたとえ読みたくて注文しても絶版や再版の見込みなしで入手できないことも多いですが、デジタル化されることによって絶版という概念がなくなって読みたい作品をいつでも読むことができる。新刊を電子化することと同時に過去のコンテンツの電子化にも力を入れて欲しいと思います。著作権が消滅した文学作品、あるいは著作権者が当該サイトにおける送信可能化を許諾した文学作品を収集・公開しているインターネット上の電子図書館である青空文庫の活動を中心として、過去の膨大なコンテンツにアクセスできる環境を整備することは、電子出版の普及、理想的な読書空間を実現させるために大きな役割を果たすと思います。
※「青空文庫」世話人の富田倫生さんが8月16日に他界されました。謹んでお 悔やみ申し上げます。