「デジタル教科書」の憂鬱

2017.02.06

光村図書出版  黒川 弘一

 SF作家であるアイザック・アシモフの「過去カラ来タ未来」(FUTURE DAYS)という本をご存じだろうか。1900年のフランス万博で配布予定だったシガレット・カードを紹介したもので、100年後の2000年の生活を想像して描いたイラストなのだが、この内容が実におもしろい。残念ながら、カードが配布される前に、製作に関与した玩具会社が廃業に追い込まれたため、一組のカードだけが残ったのだという。

 自動理髪機。空飛ぶ郵便配達員(電子メール?)。自動掃除機(ルンバ!)。農作物収穫システム。自動演奏オーケストラなど、形を変えて実現しているものもあり、眺めているだけで楽しい。その中で気になるのは学校の授業風景だ。一斉授業の中、教師は教科書をミンサー(挽肉器)のような機械に入れ、そこからつながった電線が子供たちのヘルメット状のヘッドセットにつながっている。紙の文字情報が電気信号や音声に変換されて頭に注入され、集中している最中なのか、全員が無表情だ。中には何やら苦痛の表情を浮かべているような子供もいる。

https://publicdomainreview.org/collections/france-in-the-year-2000-1899-1910/

 この風景は、ジャン・マルク・コテという名も無きイラストレーターの100年後の未来への夢想というだけではなく、風刺の意味も込めて教育の現実を表象化したものなのかもしれない。アシモフは「教師より機械の声が響くとき…」というタイトルをつけているが、自分にとっては、教育とデジタルのより豊かな関係を考えるとき、いつもこのイラストが妙に気になってしまう。

 さて、現代に話を戻すと、文部科学省では、新しい学習指導要領がスタートする2020年度の小学校から、「デジタル教科書」が正式に授業で活用できるようになることが検討されている。今後はどのように具現化させていくのかが問われるが、これまで公教育を支えてきた中核的なメディアである紙の教科書に、「デジタル化」という制度変更が加えられることは、想像以上に大きなことなのだ。

 ただ、「デジタル教科書」と言っても、今回はあくまでも検定を合格した紙の教科書部分が「デジタル教科書」として認められただけのことだ。なので、基本的には改めての検定は行わない。一方、紙面内容に対応した動画や音声、学習アプリなどの「デジタル教材」は、検定外の補助教材として位置付けられる。「デジタル教科書」をベースに、様々な「デジタル教材」と連携して活用することが想定されているが、その基盤やビューアの標準化等については今後の課題になっている。しかも、現時点では、「デジタル教科書」は有償(教科書は無償配布)で導入も任意のため、検定外である「デジタル教材」との差がつきにくく、そのビジネススキームも見えづらい状況にある。とにかく、一般の方には大変わかりにくい話になってしまっている。

 2020年は、「紙かデジタルか」(選択)というドラスティックな変革ではなく、「紙もデジタルも」(併用)という緩やかな移行を想定している。実現や普及に向けての課題が多いので、徐々に進んでいこうというイメージだ。それは、学校現場のインフラ状況とともに、教科書制度や著作権等の調整を配慮した結果でもある。2020年以降、どのような学びや方法を進めていくべきなのか、学び手と導き手にとって有用なシステムやツールとは何か、といった明確なビジョンを持たないと、普及の過程で一気に陳腐化し形骸化してしまうだろう。

 新たな学習指導要領には、「主体的・対話的で深い学び」というキーワードがあるが、まさに子供たちにとっては、デジタル教科書・教材は「わくわくして、おもしろくて、もっと学び(遊び)たくなる」コンテンツでありツールでなければならない。なおかつ、先生や保護者にとっては「導入しやすく、使いやすく、効果があり、かつ安い」ものでなければならないだろう。こうした本質的なニーズ(インサイト)に応えられなければ、普及し定着していくことは難しい。

 再び、ジャン・マルク・コテのイラストを眺めてみると、やっぱり子供たちの表情が気になる。自分自身で100年後の授業風景を描いてみたらどうだろう。その表情はどんなものだろうか。「デジタル教科書」の憂鬱は当分続きそうだ。