新しいメディアと新しいコンテンツ

2011.06.01

NHK出版  箕輪 貴

 個人的なことですが、私はNHKの放送番組の制作現場で働いていました。いわゆるプロデューサーで、教育番組やNHKスペシャルを手掛けていました。いまはグループ会社のNHK出版に出向して、電子書籍などデジタル関連業務を担当しています。そんなキャリアから少し引いた眼で出版の世界を見ていると、メディアの変化に対する反応が放送の世界とは違うことに気づきます。放送の世界のほうが「軽やか」なのです。
 放送の世界は技術革新の連続です。もともと放送局は音声波のラジオからスタートしました。それが白黒テレビ、カラーテレビ、ハイビジョン、地上デジタル、3Dと新しい技術が次々と開発され、メディア自体がドラスティックに変化してきました。メディアが新しくなると、組織の中にプロジェクトが作られ人、物、金が投入されます。放送局のディレクター、プロデューサーはその都度 新しいメディアに向き合い、新しい表現方法を工夫してきたのです。そういう経緯もあって、放送局の人間はメディアの変化に対して「軽やか」で「柔軟」な姿勢を持っているように思います。まあ、そのことがメディアとして「軽い」「浅い」「薄い」に繋がっているかもしれませんが、何かを前に進めるためにはこの「軽やか」で「柔軟」という姿勢は大切な資質だと思います。
 それに比べて出版の世界はどうでしょうか。極端なことを言えば、15世紀に活版印刷が発明されて、紙のパッケージとして「本」が登場して以来、メディアとしてほぼ固定されたままです。もちろん製作の技術や量産のシステムは劇的に進歩していると思いますが、メディアとしての完成度の高さと普遍性は揺るぎがなかったと思います。その結果、これまで出版の世界で働く人たちは、メディアの劇的な変化に遭遇する機会が少なかったのではないでしょうか。
 そしていま電子出版の波が押し寄せています。この夏も最新の電子デバイスが各社から華やかに販売されています。iOS5が公表されたり、アンドロイド系のタブレット、スマートフォンが相次いで登場したり、多彩なアプリがリリースされたりと勢いが止まりません。そこにコンテンツを提供すべき私たち出版社の人間は、その勢いにただただ戸惑うばかりです。機能が増えて高度になればなるほど、文字と静止画だけのコンテンツでは十分なサービスと言えないのではないか!そんな不安にも駆られています。アナログからデジタルへ、プリントからディスプレイへ、メディアが大きく変わろうとしている時、出版の仕事に携わる私たちは何をすべきなのでしょうか。
 ここでまた放送局の話をします。
 テレビ放送が始まった時、最初の番組をご存知でしょうか。試験放送では、カタカナの「イ」という文字が映し出されました。そして昭和28年2月の本放送では、歌舞伎の「吉野山」が日本で最初のテレビ番組として放送されました。これはとても象徴的な出来事です。つまりテレビという新しいメディアが誕生した時、最初のコンテンツは、既存のメディア(劇場)が保有していたキラーコンテンツ(「義経千本桜・吉野山」)だったことです。当たり前のことですが、テレビが誕生した時、放送局には そのテレビの機能を活かしたコンテンツは存在していませんでした。やがて放送局はテレビスタジオを作り、バラエティ番組やニュース番組を放送するようになります。またテレビカメラでドキュメンタリーも制作されるようになりました。こうしてテレビは独自の表現方法を獲得していくことになります。もちろんいまでも歌舞伎を中継したり、劇場映画を放映したりして、先輩のメディアのコンテンツを活用しています。ただ、テレビの主流はあくまでスタジオ番組であり、その表現方法は他のメディアにはない独自の世界を生み出しています。
 出版の世界に押し寄せているデジタル化の波に対して、私たち出版社のアドバンテージは、良質なコンテンツを膨大に保有していることです。国内外のプラットフォーマーからも宝の山に見えているに違いありません。事実このコンテンツは、新たな収益を生み出す貴重な経営資源になる可能性を秘めています。電子デバイスという新しいメディアでも十分活かされていくと思います。しかしこのコンテンツはあくまでプリントメディアで創作されたものです。いま私たちに求められているのは、このコンテンツをベースにしながら電子デバイスの機能を取り込んだ、新たらしい表現方法に挑むことです。新しいメディアには新しいコンテンツが必要です。メディアの変化に向き合うことが初めての人も多いかもしれません。いままでとは違う筋肉や思考回路を使うことは少し苦痛が伴うかもしれません。しかし、ここは敢えて出版に携わるみなさんと一緒に、「軽やか」にそして「柔軟」に、新しい表現の世界に飛び込んでみたいと思っています。