13 ボイジャーの挑戦 (萩野正昭)

■遁走と開拓の道のり

 振り返ってそれを「挑戦」というのなら、体のどこかにむずがゆいものを感じます。何かを求めて出立する世の中の多くがひらかれた希望に輝くものではないように、私たちボイジャーのそれも正直「遁走」からはじまったのです。少なくとも私は、逃げて逃げて電子出版という地にたどりつきました。映画から逃げて、ニューメディアと呼ばれたレーザーディスクから逃げて、未知の荒野ともいえるこの地にやってきたのです。
 民俗学者の宮本常一が山里に生きる人々に関して記した中に、人がなぜ山間僻地に住みついたのかを素朴な疑問とともに類推するくだりがあります。豊かな平地を離れてでも、稗粟しか実らない過酷な条件を選ぶのも、確かな理由があったわけです。それは自由だと宮本常一はいいました。人は富以上に自身の充足をねがい、厳しさと引き換えに心の自由をえたいというところがあります。私たちボイジャーにもぴったりするような気がします。一貫して私たちが願ってきたのは、最先端では決して無く、自分の想うところを堂々と記し残す耕地を拓くことであったのです。たとえそれが山襞にへばりつく段々であろうとも。
 ボイジャーの創業は1984 年、米国西海岸からでした。私たちボイジャー・ジャパンが設立されたのはそれから8 年後の1992 年です。数年はちょうどCD-ROM の普及期でコンテンツは引っ張りだこになりました。しかし幸運は続くわけではありません。それからの貧しさは確かに尋常ではありませんでした。どうやって生きてきたのか渦中のわれわれでさえ思い出せない、幸運なのか強運なのかで片付けるほかはありません。不思議にも日々のスリリングが人を高揚させ、もろもろの雑念を吹き飛ばしてきたのではないでしょうか。その中で多くの失敗を重ねました。他人の金儲けのために使役されている自分達に気付いたとき、ひきかえに手のひらに残るわずかばかりの紙幣を数えて深い落胆を覚えた記憶があります。これ以外何ものも残るもの無しであったわけです。私たちは自分の畑を耕さなければならないのだと振り返りました。あえてなぜ山里にやってきたのかと。本当の貧しさを思い知らされたのはこのときです。

■三つの象徴
 日本の電子出版20 年の歴史をおもいおこし、その中に生きたボイジャーとして三つの写真を象徴として掲げてみることにしました。一つは、CD-ROM 企画ビートルズの『Hard Dayʼs Night』(米ボイジャー、1992 年)です。

「Hard Day's Night」の画面より

 全編90 分の映画をQuickTime でまるまる映像収録したうえに、シナリオやインタビューなど、数々の付録が入っていました。〝ビートルズ〟というネームバリューに目を奪われ、誰もこの作品が電子出版の多くの課題を込めてつくられていたことを顧みる人はいませんでした。
 二つめは、日本映画を海外に紹介した評論家ドナルド・リチーの著作「映画の中の日本 小津安二郎の美学」を実際の映画から参照できる対応を試みたCD-ROM 企画『The Complete OZU』(東芝EMI 株式会社、1994 年)です。ボイジャーは制作協力として参加しました。

「The Complete OZU」の画面より

「クゥの映画缶」の画面より

 『Hard Dayʼs Night』の影響を受けて、日本語版「エキスパンドブック」開発の試作となったものでした。この作品では映像表示を極力行わず、シークエンスの各カットからコマを抜き構成しました。カットの長さは正確なものであり、音声はそのまま使われています。長いシークエンスのカットに対しては、時おり複数のコマを入れています。ないものずくしのなかで考えた窮余の一策でしたが、決して侮ることのできないアイデアであったかもしれません。
 三つめは、アニメーション映画『河童のクゥと夏休み』はどのように作られたか?のWeb メイキング版『クゥの映画缶』(ボイジャー・ジャパン、2008 年)です。
 『クゥの映画缶』は三つの本がリンクし合い、映画がどのように構想され、演出され、デザインされていったかを知るものです。本編の映像や音声・音楽、制作現場の記録映像などは一切使用しておりません。本編映像のカットから抜き出された4,800もの映像フレイムをコマ抜きし、本のページとして配置し、読者が一切のコントロールを握る本のもつ独特のユーザーインターフェースを徹底して尊重しています。「読むように見る」「見るように読む」が追求されたのです。期せずして映画をテーマにした電子出版がならびました。これもまたボイジャーの歴史に刻まれた遁走と、自由
な充足を求めた開拓の道のりだったのだとおもいます。

◎萩野正昭(はぎのまさあき)1992 年にボイジャー・ジャパンを設立した電子出版の開拓者