電子出版のデスクトップ20

本はなくなるか?


 「紙はなくなるか?」という命題が流行っている。私も概ね紙はなくなると考えている。少し前までは変人扱いされていた。最近は「紙がなくなる派」も増えてきたので、私には少し違う観点が面白くなってきた。今度の命題は「本はなくなるか?」である。
 「紙が云々」論議では「紙の本」「電子の本」と「本」の部分は変化しない。しかし「本」という概念、つまり現在のような「情報のパック」の仕方も確実に変化しつつある。
 頑丈な表紙でカチッと装丁された辞書や事典―知識をひとつに詰めこんだ美しいオブジェ。そんなオブジェは持っているだけでわくわくする。
 ところが残念なことに電子化で「辞書という本」は目に見えなくなってしまった。そのかわりどんなものの中にも辞書が存在するようになった。電子手帳やPDAはもとより携帯電話も辞書になる。そのうち腕時計やボールペンにまで辞書が入ってしまいそうな勢いだ。
 辞書は旧来の重々しい装いを捨て、かび臭い書斎から抜け出、限りなく透明に軽やかに、知的創造のあらゆる場所に必ず登場するようになった。「本」の姿を捨てることによって、本来の「辞書」により近づいたとは言えないだろうか。
 この変化は辞書だけに留まらないだろう。最近WBT(Web Based Training)という学習方法が登場しつつある。これは学習書の分野にとっては新しいヒントだろう。旧来の学習書のある部分は紙よりWBTのほうが遥かに向いている。
 専門ジャンルを持つ出版社なら、ジャンル別統合サイトというのはどうだろうか。特定の分野の出版物をすべてひとつのサイトにまとめる。その分野に興味を持つ人には会員制で、たまに覗きたい人には時間制で提供する。個々の本の垣根を壊すことでジャンル独自のサイトが構築される。
 統合ばかりではない。世の中には1冊の本のうち、使うのはたったの1ページという類の本も多い。たとえば書式集などはそういったものの代表格だ。紙という形式ではバラバラにして流通させるのは困難でもネットでは1ページ単位で売買することが可能になる。Pageのバラ売りである。
 もちろんあらゆる本がそんな風に変化するのかというとそうでもない。1ページ目から始まって最終ページに至るまで順を追って情報をパッケージグする表現形式は不滅だろう。そういった論理構造は物事の筋道を理解するためのもっとも有効な形式のひとつである。
 小説の世界もなかなか変化をしそうもない。4コママンガなら掲載順はランダムでも面白いかもしれないが、推理小説で犯人が最初に分ってしまったら面白くないではないか。
 紙で出版している限り辞書も学習書も実用書も文学もすべて冊子という同じ姿をとっている。それは「紙」という限界を持った情報の仮の姿だ。電子化という技術は情報の中身に応じた新しい情報パッケージを個々の出版物に提供する。
 かつて音楽は紙で出版されるものだった。新しい音楽は楽譜として出版され世の中に広まっていった。楽譜の売れ行きが音楽の評価だった。
 レコードの発明はその紙による出版の世界をまったく変貌させた。音楽は音楽そのものとして世に出され人々は直接音楽を聞く。
 そういった変化と同じようなことが広範囲により深く起こりつつある。レコードが本ではないようにそこでは「本はなくなる」。しかしそれは本から生まれ出、情報の個々の本来の個性をより発揮させる「本の変貌」なのだ。
『情報管理』Vol.43 No.9 Dec. 2000 より転載

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