会長就任に際して

2021.03.01

JEPA会長/医学中央雑誌刊行会  松田 真美

私の勤め先「NPO 医学中央雑誌刊行会(通称:医中誌)」は、1903年の創業以来、「日本で発行される医学及び関連分野の論文情報の提供」を業としています。私は、1989年に冊子体『医学中央雑誌』の電子化事業が起案され、その検討の場として作られた「CD-ROM検討委員会」の一員になって以来、ずっと医中誌の電子サービスに携わってきました。

長年にわたりただ1つのコンテンツと付き合ってきた訳ですが、飽きるどころか、情報環境の大変革の渦中、飛ぶように過ぎて行った歳月でした。大変革の主役はもちろんインターネットです。我々のような弱小組織にとっては夢のまた夢であった「自前の検索サービス」たる「医中誌Web」を立ち上げたのは2000年、そこから早くも20年が過ぎました。

この間、国内には手本となるサービスが存在しないため、システム構築の考え方やユーザーサービスとしての在り方に関しては、米国の国立医学図書館(NLM;National Library of Medicine)の医学論文検索サービス"PubMed"をひたすら追いかけてきました。

一方で、JEPAは、私にとり、より広い分野の電子出版に関する情報を得る場であるとともに、同じ日本で、我々医中誌と同様に「デジタルとネットワーク」を武器とする新しい出版の可能性を信じ多種多様な冒険に乗り出す仲間の姿を垣間見たり、時には語り合う場としても、とても貴重なものでした。更に、JEPAの先達がこれまで取組み形にしてきた技術仕様の標準化などの成果を知るにつけ、いわゆる「業界団体」が担うべき「仕事」ってこういうことか、と改めて考えるようになりました。

この度突然会長にとのお話を頂き、悩んだ末にお受けしようとの結論に至ったのは、自身が曲がりなりにも数十年電子出版と取組み、インターネットが持つポテンシャル(と共に、業界の再編成を迫るまでの破壊力)を実感する者であること、また、JEPAの「価値」を同じく実感する者であること、の二点において、少しはお役に立てるのかも、と考えたからです。

それともう一つ、二年前にJEPAの理事になった際、『ただ一人の「女性の理事」になって考えたこと』と題した「キーパーソン・メッセージ」で「仕事するのに男も女も無い」と述べ、女性の理事が自分一人であることを嘆いたからには、ここは物怖じせず引き受けなければいけない、と言う義務感めいたものもありました。(森喜朗氏の騒動がほぼ同時に勃発したのは全くの偶然なのですが。)

とはいえ、出版界においては辺境に位置する仕事をしてきた私の知識や経験は限られており、眺めている視野もかなり偏ったものだと思います。コロナ禍が結果的に電子出版にとって追い風となってはいるものの、その先は益々混沌とし見通すのは至難の業である今、そんな私に一体何ができるのだろうか?との不安でいっぱい、と言うのが正直な心境です。

しかし、そういう今だからこそ、JEPAの存在価値は更に高まっていると思います。会員の皆様とともに微力を尽くしたく、皆様のご協力、叱咤激励を伏してお願いする次第です。