29 自社発行による「看護医学電子辞書」 (金原 俊)

■媒体とコンテンツを一対
 出版社が電子辞書に対応する場合、まずは紙(冊子体)の発行を主に捉え、リスクや負荷を極力避けながら、2次利用としてコンテンツを提供して、一定の副収入を得る、との考え方が一般的と思います。現在、多く行なわれている、企画、製造、広告、販売をメーカーが行い、出版社は販売台数に応じた版権料を得ると言う方法は、その狙いに適った合理的な方法と言えます。しかし、一つ大きな問題があります。それは電子辞書がよく売れる分、紙が売れないことです。新聞報道では日本の電子辞書の市場規模が年間650億円なのに対し、紙の辞書は150億円と1/4以下で、しかも15年前に比べ半減したとのことです。これは出版社にとって電子辞書は、2次利用による副収入を得る媒体では既になく、むしろ1次利用としての主収入を追求すべき媒体となったことを示しています。
 それでも得られる版権料が充分なら問題はないのですが、一般には非常に低く、ただちに主収入として紙に取って代れないのが実情でしょう。版権料が低いのは、元々リスクや負荷を避けた副収入のためでもありますが、私は「媒体」を切り離したことで「コンテンツ」の価値が下がったためではないかと感じています。本来「媒体」と「コンテンツ」は一対のものです。よく出版社の間で「コンテンツを持つ者が強い」とか、「益々編集力が重要」と言われますが、コンテンツを尊重する余り、媒体を持つことの役割や意義を忘れてはいないでしょうか。新たな媒体の出現に際し、この2つを切り離して、他者の媒体に委ねてしまうのではなく、2つ共に責任をもって読者に届けることが、結局はコンテンツの価値を高く保つことになると感じます。そんな考察から自社による電子辞書の発行に思い至りました。勿論、機械本体を作ることはできませんから、メーカーに製造を委託します。考えてみれば本も用紙を購入し、コンテンツと自社名の印刷を委託しているので、大きな違いはありません。

■部数の読み違い
 こうして当社の「看護医学電子辞書」の企画は、自社発行モデルでスタートしました。まずは受託してくれるメーカー探しです。2003年7月頃、自ら幾つかのメーカーに出向いて相談すると、けんもほろろに「2万台以上なら」との回答でした。学術書で2万部はほぼ不可能な部数で、とても考えられません。そうした中でカシオ計算機社(以下カシオ)だけが「千台から受けます」との回答で、必然的にカシオにお願いすることになりました。カシオのサポート体制は素晴らしく、大いに助けられましたが、基本的に自社の発行物なので、我々の責任と作業負荷で進める必要があります。著者への交渉・印税契約、プログラムの開発・検証、操作マニュアル作成、サポート体制の確立、書店への要請など、どれもが大仕事です。中でも躊躇したのが保証書です。電子辞書には「家電品」としてのメーカー保証が不可欠ですが、当社の発行物である以上、カシオの保証書はあり得ません。当社が家電品の製造元になりメーカー保証をしました。

本来、蓋の中央に付けられるカシオのロゴを取り去り、当社のロゴを印刷。カシオの社名は全て削除可能だが、ハード面での信頼感を得るため、あえてパネルの右下に小さく印字した

 加えて制作費が重くのしかかります。何万円もするベース機を何千台も仕入れて、さらに自社製品としての加工をするので、制作費はすぐに億の単位になってしまいます。最も恐れたのがデータやプログラムの致命的なミスです。もし完成後に見つかればベース機の仕入分を含めて、億を超える費用がもう一度必要になります。また、売れ残った場合、本のような断裁処理はできず、さりとて値下げして売り切れば、翌年の値付けに影響します。「最後は社員に配るしかない」との覚悟で、恐る恐る予約受付を開始したところ、注文が殺到したのです。発売日前に1年分の想定部数を超えてしまい、急遽、発売日を延期して増産です。迎えた2005年7月の発売日も数時間で売り切れ、その後も品切れと増産の繰り返しで、終ってみれば想定部数より一桁多い部数を出荷していました。大幅な部数の読み違いに思わず苦笑いです。その後も最新の機械とデータを用いて改版を行い、現在は第3版を発行中ですが、改版毎に当社の売上記録を更新しています。

■第1回JEPA電子出版大賞を受賞
 何が幸いしたかの分析は難しいところですが、電子辞書がユーザーにも書店にも、また社内にも、分りやすい媒体であったと言う面はあるでしょう。また、当社の専門辞書と定評ある語学系辞書との組合せも良かったのではないかと思います。しかし最も功を奏したのは、これまでの出版の枠組みを何一つ変えない自社発行モデルであった点と思っています。利用の仕方や読者を定め、適するコンテンツを集め、媒体上に固定し、効果的な広告を行い、専門書店で販売する。そのどれもが長年当社が行なっている出版業務そのものであり、「家電品」ではあっても、ノウハウを充分に活用できました。
 嬉しいことにさらに大きなご褒美が待っていました。発売からちょうど2年が経過した2007年7月の東京国際ブックフェアにて、関戸会長より大変名誉ある「第1回JEPA電子出版大賞」を頂くことができたのです。受賞理由はまさに狙いとする自社発行による電子辞書であると伺い、皆様のこの製品に対する深いご理解に厚く感謝する次第です。あまたの素晴らしい製品がひしめく中、知名度の低い専門領域の当製品が大賞を頂けたのは大変な喜びであり、これからもこの記念すべき第1回大賞に恥じないよう、さらに強力に電子出版を推進していく所存です。

◎金原 俊(かねはらしゅん)医学書院からJEPAに参加。現在、JEPA会長