究極はなんと言ってもモバイル

2002.01.01

三洋電機  佐藤 憲一

          ――ケイタイは当初自動車電話、本は最初からモバイル――
 今から30年以上も前のこと。それは、1970年に開催された大阪万国博覧会でのことである。
 ある東北の町から友人と二人で夜行列車に乗り、翌朝大阪の千里に直行した。そこには 岡本太郎作の太陽の塔が見えたことを思い出す。
 各展示ブースは僕にとっては、未来の世界に見えた。コンピュータで作曲したという電子 音楽が聞こえるブース、無線で何処へでも掛けられる電話機、そして未来の生活スタイル をイメージする展示品等々である。そこで、21世紀の世の中とはどんなものかなと数十年 後を思い巡らしたことを覚えている。
 それからほぼ30年後の現在、IT(Information Technology)社会、ネットワーク社会とい う言葉が氾濫する中でこの30年の間に身近なところでどんな変化があったのか。
 電気業界だけの話しだけで恐縮だが、1982年にCD(Compact Disc)が登場し高音質の音楽 の再現が可能になり、この12cmの光ディスクが記録媒体の代名詞になった。次に、1990年 には携帯できる電話が世の中に登場し現在の携帯電話の爆発的普及となった。また、PCの 世界でも同じ20年後の1990年にGUI(Graphic User Interface)が充実していたマキントッシュ が20万円を切る価格で発売され、一般へのPC普及の引き金になった。それから5年後の 1995年には、一般へのインターネットの普及の兆し見え始め、それがが引き金となり現在 の常時接続、ブロードバンドという通信環境の整備に拍車がかかったと言える。
 この30年で道具ということでは、環境は結構変わっている。
 一方、身近な居住環境や見た目の街並み等、周辺環境はどうか。昨年夏に30年ぶりに 訪れた生まれ故郷の山村は相変わらず茅葺の屋根があり、本家の家はだたっ広い座敷と 仏間と土間が家の多くの比率を占めている。年に数回程度帰郷する実家も少年時代と さほど変わってはおらず、ただ変わったのは子供部屋が応接に衣替えし、父の位牌が置 かれた仏壇が増え、母がひとり暮らしになったことだけである。
 この現実は、30年前に万博でイメージした21世紀のそれとはあまりにかけ離れている。 21世紀とは西暦で2001という数字に変わっただけなのか。
 そんな中でのIT社会、e-Japan構想等は、整合性があるのか。
 この環境に生活する人々が、インターネット上で仮想商店のサイトを閲覧し、ネットで 買い物して電子決済をし、また電子政府の仕組みでXML形式で書かれた申請書様式で色々 な手続きをするのか。茅葺の屋根をくぐると牛がいて、その反対側の囲炉裏のある土間に デスクトップのPCをドンと据えてその前に座りキーボードを操作している姿は現実的では ないような気がする。
 今時、そんな居住環境が日本のどこにあるのかと言われそうだが、日本の居住環境は それと大差は無い。決して30年前の万博で見たものとは違うのである。
 ならば、IT等はナンセンスなのか?いや、決してそうではない。
 人間は飽くなき欲望即ち、より高品質、高機能を追求すべき宿命にあり、現時点でイメージ できないものでも、それが整合するよう努力して行かなければならないのである。
 そこで将来に渡ってキーになるのがモバイルではないか。モバイルは人間が身に着ける モノであり、周辺環境と見た目に融合する必要も無い。
 炉辺であぐらをかいて濁酒を飲みながらのWebサーフィンもモバイルなら現実味を感じる。
 熟年も壮年もあと少し努力すればモバイル端末が使えるのである。運転免許の取得より はるかに容易なITのリテラシー向上に何の努力もしない日本人であって欲しくない。 しかし、このモバイルはケイタイでは無いと確信する。すぐそこに電卓があるのになぜ ソロバンを使う必要があるのか。
 しかしながら、その電卓がWindowsでは現状どうしようもないからケイタイ即ちソロバン なのであろう。
 ところで、突然ではあるが、今ソフトウェア無線なるものが無線通信の世界で将来技術 のトレンドとなっている。
 これは、Software Defined Radioの直訳であるが、つまり、入れ物(Hardware)が 共通で、そこにSoftwareをダウンロードすることにより機能を変えられるというもので ある。
 現在、全世界の携帯電話やPHS等の移動体通信方式はメジャーなものでも5方式程度あり、 その国の通信事業者の意志で特定の方式を採用しているため、日常自国で使用している 電話機は海外では使えないというのが実情である。更に、国内で見た場合でも、携帯3方 式とPHS方式がある中に無線LANも町の中で使えるというサービスが準備されている。
 また、今後5年後及び10年後をターゲットに新たな通信方式の開発が行われており、 このままでは端末をいくつ持ち歩くことになるのかということになってしまう。そんな 馬鹿なことはするはずも無いが、しかし、環境に応じて全部使えることは悪くないはずで ある。例えば、僕は典型的なモバイルワーカである。自宅ではADSL、会社では専用線、 単身赴任先のワンルームマンションではFWA(Fixed Wireless Access)であるが、 屋外に出た途端、PHSの32kb/sパケットと低速になり、海外出張に至ってはモバイルなど はあるはずも無くホテルに法外な通信料金を払ってダイヤルアップという環境になる。 僕にとって、モバイルの通信環境が快適なことが一番である。都内の出先やコーヒー ショップでは高速の無線LAN(数Mb/s)、郊外ではPHS(数十kb/s)、新幹線では高速移動 でも送受信可能なIMT2000(百数十kb/s)そして、海外ではその国の採用方式といった ようにである。
 ソフトウェア無線が実用化されるならひとつの端末上でこれが現実のものとなる。萱葺 きの屋根が残っている街並みでも何か電波は飛んでいるだろうから。 
 次第に話が脱線して来たが、更に脱線させていただく。ここで結構インパクトのある 問題が存在するのである。それは、通信料金である。現在モバイルワーカが負担できる 通信料金をぎりぎり満足できるのはPHSサービスを提供する中のたった一つの事業者に 過ぎず、携帯電話なら僕の年収を全てつぎ込んでも足りない程の通信料金になるというの が日本の現状なのである。
 それでも、どんな課題もモバイルへの飽くなき欲望の追求により解決すると確信する。
 この要求を直接聞きそれを自身の仕事に反映できないビジネスは衰退することは通信業界 の人間は皆身にしみて分かっているはずだから。
 話しは、ここまでであるが、JEPAに直結した話しが何も出ていないと言われそうである。 そこで、以下の一言二言を付記させていただき、終わりにしたい。
 PCはデスクトップ始まりでA4ノートでぎりぎりモバイルに、携帯電話も当初は自動車 電話から出発し100gを切った段階で本当のモバイルに、また音楽は30cmLPからCDにそして ネット端末の普及で本当のモバイルになる。
 しかし、ここで、何と書籍は最初から完全なモバイルで登場していることに気づく。この 利便性が電子書籍になっても損われることが無いのか、これは重要なことである。万博か ら30年たっても、高品質化以外には、何も変わらなかったように見える放送と同じで あってはならないと思う。