電子コミック市場崩壊の危機

2025.08.01

パピレス  天谷 幹夫

 このキーパーソン・メッセージを執筆させていただくのも6回目になりました。今までは、“新しき器には新しきコンテンツ”とか、“次世代コンテンツの萌芽”とか、“Webtoon市場どうなる”などと前向きな内容が多かったですが、今回は非常に後ろ向きな題名になってしまい驚かれたと思います。しかし、それだけ危機が切迫している現実を皆様に知って貰おうと筆を採った次第です。

1. 電子コミック市場は伸びているのか?
 ここ数年で、電子コミックの出版社から「我が社の売上が、思ったほど伸びない」とか、「前年度より、売上が何%か下がっている」とか、あちこちで言われるようになりました。また、東京証券取引所に上場していて売上が公開されている電子書店運営の3社を調べますと、2021年あたりから年度売上は、横這いか下降ぎみでした。実は、電子書店を運営している当社パピレスも、2021年から売上は横這いで、直近2~3年は下降しています。同じく上場していて150以上の電子書店に卸をしている、電子書籍取次専門会社も、決算説明資料を見ますと、2021年度くらいまでは卸しの売上は右肩上がりでしたが、2022年度以降、個々の理由で凹凸はありますが、直近まで横這いぎみです。

 一方、出版科学研究所の電子コミック市場(推定販売金額)推移調査*では、電子コミック市場は2020年のコロナ以降、急激に伸びて2024年には前年比6.0%増の5,122億円になり、2019年と比較すると倍増していると報道され。また、インプレス総研の『電子書籍ビジネス調査報告書2024』では、2023年の電子コミック市場規模は前年比8.6%増の5,647億円となっていて、どちらの調査も伸び率は鈍化しているが、市場は成長していると述べています。さらに、数ある電子書店の中でも非上場であるが、大企業の子会社である韓国系の電子書店2社や日本の1社は、2023年末や2024年当初にそれぞれ売上1,000億円達成や850億円達成を唱え、右肩上がりで伸びているグラフも開示しています。

 そこで、今回のキーパーソン・メッセージでは、この2つの違いの本質がどこにあるのか追跡することにしました。

2. 電子コミック市場はレッドオーシャン
 当社が電子書店を始めた1995年頃は「PCで電子書籍など誰が読むのか……」と言われましたが、その後2000年頃から2社が加わり、2005年の日本初期の携帯電話ガラケー時代には数10社が電子書籍の配信を始め、特に電子コミックの配信が増えて来ました。さらに2013年以降のスマートフォン時代になると、韓国系の電子書店や出版社の電子書店も含め電子コミック配信社は150社以上になり、過当競争となり「レッドオーシャン」と言われる所以です。過当競争なので当然どこの電子書店も他社よりも多く客を集めようと必死です。このため各社が行うのは無料施策とポイント還元施策です。

3. 無料施策とポイント施策とは
 無料施策とは、何冊かあるシリーズのコミックを3冊無料や5冊無料、時には全冊無料にして読者が読めるようにすることです。また最近では、1日待てば無料として、分冊を24時間待てば続けて次々と無料で読めてしまうようにして集客することが増えています。過去にも試し読みとして一部無料にすることはありましたが、ここ数年で集客競争のために無料冊を次々と増やす電子書店が多くなりました。この無料施策を行うには、当然、著作権者や出版社の許諾を貰わなければ出来ませんが、著者や出版社もそのコミックの内容をユーザに知って貰うために許諾する、あるいは知名度を上げて、グッズやイベントの宣伝効果も狙って出版社が主導して無料イベントを行うことが多くなっています。

 ポイント還元施策とは、電子書店に入会すれば、コミックの価格に50%分や70%のポイントを付けて、読者が残りの分を支払えば読めるようにすることです。また、入会している会員にも引き続き来てもらうために、1,000~5,000ポイント付与などのキャンペーンを行うことです。これはいわゆる、販促費というもので、読者が払わなかった費用を書店側が負担するものです。物販の販売店であれば、商品の小売価格を値下げして売りますが、電子書店は販促ポイントを付けることにより、ユーザにとっては値引きと同じ効果をもたらします。当然、書店側は読者に読まれた分の何割かを、著者や出版社に著作権料として支払うことになり、いわゆる持出し費用になります。このため、販促費をあまり多くしますと、何年か前に70%OFFのクーポンキャンペーンを行った書店が、SNSで拡散され60億円の赤字損失になったという話もあります。

4. 市場が伸びて見えるのは、販促費のつぎ込み結果
 ただ、IT業界によくあることですが、この販促費用を際限なく使っても、集客をして業界1位を独占獲得すれば、他は倒産や閉店に追い込まれるだろうと、大企業の子会社などは親会社の資金をつぎ込んで販促競争を行います。この傾向が、強く表れたのが出版科学研究所やインプレス総研などの調査機関による2020年以降の電子書籍市場の伸び率の急激な増加結果です。出版科学研究所の年度販売推移を見ますと、2014年から2018年度までは、紙コミックの売上は減少していますが、電子コミックの売上が伸びているため、両方を合わせた市場の合計は、4,400~4,500億円程度の横這いで、紙コミックを読んでいたユーザが電子コミックに徐々に移っているのが分かります。

 しかし、2019年以降、電子コミックの売上が急激に伸びて、2018年の2,000億円程度が2023年に4,800億円と2.4倍になって、紙も合わせたコミック市場は7,000億円に膨れ上がり、出版市場が大きくなったと言われる所以です。しかし、この内訳は、各書店が販促費を増大させたため、ユーザは自分のお金を払わずに電子コミックを読めるようになったということで、ユーザは大喜びですが電子書店は疲弊しています。

 では、最初に記した、証券取引所に上場している書店の売上は何故伸びていないのでしょうか?それは、2020年3月の財務会計基準委員会の「収益認識に関する会計基準」の変更により、上場企業の売上とは販促費を差し引いた分を売上とする「履行義務」が課せられたためです。このため、いくら販促費を追加して販売額を上げても売上とはならないのです。逆に非上場企業であれば、売上ということは可能で、最終的に市場調査の売上には加算され電子コミック市場が2.4倍になったと称することはできます。ただ、一部の非上場電子書店は売上の名称を流通総額、取引総額と修正したところもあります。

5. 販促競争による無料読者の増加
 このように、業界が発展して市場が大きくなると、一時期多くの企業が参入し、値下げの過当競争になるのはどの業界にもあることです。競争の結果、採算が合わない企業が淘汰されるのは資本主義競争社会の故で仕方のないことだと思います。しかし、ここで一般の物販競争とは違う部分が電子コミック市場に見られることに気づいたことが、今回のキーパーソン・メッセージの主題となることです。

 それは、毎年報告されているインプレス総研の『電子書籍ビジネス調査報告書』の電子書籍の利用率調査に見られます。この利用率調査は、モバイルインターネットユーザ約10,000人に電子書籍の利用有無、および課金、無課金をアンケートにより毎年集計したものです。この結果、有料の利用率は2017年の17.6%から2021年まで徐々に伸びて20.5%を達成しましたが、それ以降3年連続して低下し、2024年は18.7%になってしまいました。これに対して、無料の電子書籍のみを利用するユーザの利用率は、2017年の22.8%が徐々に増加し、2021年で24.8%になり、その後も増加し2024年には、28.8%になりました。各社が無料施策や販促施策を行ってきたのは、それによって電子コミックの認知度を高めユーザを増やし、最終的には課金ユーザの増加に繋がると考えてきたからです。しかし現実には、過当競争により無料のユーザは増やすことはできたが、今まで有料で読んでいたユーザも無料で読むようになったということです。

 このため、電子コミック市場の見かけの流通総額は増えているが、実質売上は減少しているため、実利を得ているところも少ないと推定されます。これが紙コミックの出版販売であれば、1冊の本に紙代・印刷代・製本代・流通費の対価が大きくかかりますが、電子コミックの場合はその原価の割合が低いため、容易に70%還元や1冊無料が出来てしまう訳です。また、電子書籍業界では、海賊版対策が大きな問題になっていますが、2020年時点の海賊版サイトに掲載されたコミックや雑誌の冊数は27,000冊(総務省調査)となっていますが、まるごと無料を前面に出している販促重視の電子書店などは、無料冊数が約50,000冊と海賊版サイトをはるかに上回る冊数で、読者に提供している訳です。海賊版以上に無料の読者を増やしていると言えます。

6. 市場の衰退が版元や著者に与える影響
 このようにユーザが電子コミックは無料で読むものだという社会変化が起きてしまうと、私が一番心配するのは、衰退した日本の音楽市場と同じになるのではないかと言うことです。音楽市場は2000年代に入りCDなどフィジカル媒体の売上が減るとともに、デジタル音楽配信が少しずつ伸びて、2009年頃には910億円を超す勢いになりました。しかし、その後、SNS動画や広告配信などで無料の視聴が増えるにつれ、音楽配信の売上は徐々に減少し2013年頃には417億円と半分以下に縮小してしまいました。フィジカル媒体を合わせた、音楽市場も1998年の6,000億円を境にして、2020年には3,000億円以下に縮小しました。

 現在伸びている音楽は、広告モデルとサブスクモデルのストリーミング配信だけです。このため音響会社や音楽家が成り立たなくなり、日本の音楽アーティスト数は減少の一歩をたどっています。現在の電子コミック市場にも同じようなことが起こっている訳です。その結果、コミック出版社やコミック著者の収入が減少し、コミックを書く若者の数も減少してしまうことになります。

7. 市場を崩壊させないためには
 当社も過去に無料を増加させてみたことはあります。しかし、その際のデータ分析を行うと、無料で読まれる冊数や顧客数は有料の10倍以上増えますが、無料で集客したユーザは課金につながりにくく、今まで課金していた既存ユーザが無料を読むため、全体売上が低下してしまうことが分かりました。誰もがそうですが、ユーザが1日に読書に取れる時間は限られているため、無料コミックを多く読んでしまうと有料コミックを読む時間が無くなってしまうのは当然でしょう。この結果、当社では、ユーザが内容を理解するために必要な数話は無料にしますが、それ以外の無料は極力行わないようにしています。

 電子書籍業界全体が崩壊しないためには、当社など一部の電子書店の努力では不可能と言えます。効果的な方法は、出版社や著者が、無制限に拡大して行く無料施策について、権利者の立場から許諾を出さないようにすることが一番効果的であろうと思われます。いかがでしょうか。