放送と出版の境界がほどけるとき——時間に縛られないメディア体験

2025.10.01

NHK出版  小関 基宏

 かつて、テレビやラジオの放送番組は「時間に縛られたメディア」の代表だった。放送時間に合わせて視聴者がテレビの前に座り、決まった枠の中で情報や物語を受け取る。それが放送のスタイルだった。一方、出版物はいつでも読める「時間に縛られないメディア」として、読者のペースに寄り添ってきた。しかし今、両者の違いはすっかり薄れてしまった。TVerやNetflix、YouTube、NHK ONEなどのインターネットサービス、スマートフォンアプリの普及により、放送は「いつでも見られる」ものへと変化した。録画・録音や見逃し配信は当たり前になり、視聴者は自分の生活リズムに合わせて番組を楽しむことができる。これは「自分のタイミングで接する」出版物ならではのスタイルが、放送にも浸透していることを意味する。

 そして、この変化は放送と出版の関係にも新しい風を吹き込んだ。以前は、テレビ番組の関連書籍が発売されるまでに時間がかかり、放送の熱が冷めてしまうこともあった。だが今では、番組と同時に電子書籍が配信されたり、放送直後にデジタルコンテンツとして公開されたりすることが増えている。放送の「余韻」をすぐに「読む」体験へとつなげることで、視聴者はより深く番組の世界に入り込むことができる。このような連携は、放送と出版が互いに補完し合う関係から、より一体化したメディア体験へと進化してきたことを示している。映像で得た感動や知識を文字で再確認したり、さらに掘り下げたりする。あるいは、書籍で得た興味を映像で視覚的に広げていく。こうした往復運動が、視聴者と読者の境界をも曖昧にしている。

 さらに、紙とデジタルの融合もこの流れを後押ししている。視聴者層の高齢化が進む中で、今も紙媒体に親しみを持つ世代が多いことは事実だ。電子書籍に抵抗を感じる人も少なくない。だからこそ、誌面にQRコードを添えて音声や動画、追加情報にアクセスできるようにしたり、紙の本に連動する新たな電子コンテンツを用意したりする「ハイブリッド出版」が出版物の新たなスタイルとして定着してきたのだろう。これは、紙とデジタルの間に橋を架ける試みであり、世代を超えたメディア体験を可能にする工夫として受け入れられている。

 こうしてみると、放送と出版は、もはや別々のメディアではなく一つの体験の中で共鳴し合う存在になっているといえる。時間の制約がなくなったことで、視聴者は自分のペースで情報に触れ、感動を深め、知識を広げることができるようになった。これはメディアが、より「個人の時間」に寄り添うようになった証でもある。もちろん、すべてがスムーズに進んでいるわけではない。著作権の管理や収益構造の見直し、制作現場の負担など、課題は多い。それでも放送と出版が手を取り合い、紙とデジタルが共存することで、より豊かな情報社会が築かれていく可能性は十分にある。そして何より重要なのは、こうした変化が放送の公共性と信頼性を損なうものではなく、むしろそれを強化する方向に働いているという点だ。出版は、放送コンテンツの価値を拡張し、より多くの人に、より深く、より持続的に情報を届ける手段として、今後ますます重要な役割を担っていくだろう。

 放送と出版の境界がほどけていく今、私たちは「見る」と「読む」の間にある新しい体験を楽しむことができる。時間に縛られない自由なメディアのかたちが、静かに、しかし確実に広がっている。

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