舞台に留まろう その2

2015.10.10

医学書院  金原 俊

 もう8年も前になるが、2007年に、このキーパーソンズ・メッセージに「舞台に留まろう」と言うタイトルで書かせて頂いた。「我々は電子化の波の真っただ中に居るが、その波にしっかり乗って、出版の舞台に留まろう」という趣旨のものだ。しかし、それが極めて難しいこともその中で同時に述べさせて頂いた。
 https://www.jepa.or.jp/keyperson_message/200706_315/
 その時に危惧したことにまさに当てはまる、「環境の変化に対応できなかった出版人」の事例が、明治期の日本に実際にあったことを最近になって知った。『江戸の本屋と本づくり』、『和本入門』などの著書で知られる、橋口侯之介さんが言われる「明治20年問題」がそれだ。橋口さんは長年、神田で古書店を営み、和本と言われる江戸期の出版物を取扱いつつ研究をされており、明治20年を境に出版の舞台の役者が、まさに総入れ替えとなった状況を述べている。
 http://www.book-seishindo.jp/essay/essay-wahon14.pdf

 江戸時代の出版は、現在、一般に認識されている以上に質も量も豊かだった。当時でも高かった識字率に支えられ、中には1万部を超えて販売する本もあったという。強固に構築された「仲間」と呼ばれる出版者の横のつながりを通して、幕府の検閲への対応から、共同出版や版木の権利の担保、流通、販売などが円滑に行われていた。現代の出版のシステムに近い高度な機能がすでに確立されていたのである。

 しかし、その形態は現代のものとは大きく異なっていた。出版者は「本屋」と呼ばれ、板木師、刷り師、仕立屋(製本)などの職人と連携をとりながら制作を行い、今で言う出版社、取次、書店、古書店の機能を兼ねることで本の流通すべてを担っていた。江戸期には円滑に運営されていたこのシステムだが、江戸幕府から明治政府になり、世の中の様々な制度が変わった時点で徐々に崩れ始める。並行して活版印刷技術や洋紙、洋製本技術などの海外の最新技術が開国によりもたらされ、最新の機械を用いた大量生産方式が登場する。それらは株式会社組織を必要とし、出版社、書店、印刷会社、製本会社、洋紙会社、取次、などに分業化された現代の出版システムが形成されて行く。こうして家内制手工業的な本屋は次第に淘汰されてしまうのである。

 一方で読者が出版に求める役割には変化はなかったため、単純に考えれば江戸の本屋も新しい技術を取り込んだり、会社組織への進化を遂げれば良かったように思える。が、実際にはそうは行かなかった。本屋による和装本は、岩波書店や有斐閣などの新興の出版社による洋装本に、次第に取って代わられるようになり、それが逆転したのが明治20年とのことだ。その後、10年程で江戸期の本屋は殆ど姿を消し、出版を支える役者はほぼ全員入れ替わった。江戸期を創業とする出版社が、現在、極めて少ないのはそのためである。これが出版界の明治20年問題だ。

 たとえ目的や使命が同じでも、用いる手法が大きく変化すると、同じ組織による継続が不可能なことを、明治20年問題は物語っている。注目したいのは手法の変化に伴う役割の変化だ。技術革新により各役者に求められる役割が変わり、これが役者の交代を促したと思われる。現代起こりつつある電子化においても同様となるのではないか。オンライン書店であるAmazonが、著者から直接、原稿を受けてKindle Direct Publishingにより出版する。これは、江戸の本屋の業態に近い。江戸の出版システムが数百年の歴史を有したのに対し、現代の出版はわずか130年の歴史しかないことを考えると、現代のシステムは過渡的な措置であり、出版と流通の一元化は、むしろ本来の形に戻るだけのことかも知れない。

 その際に分業化して生まれた出版社、取次、書店などが、それらの機能を合体した会社に「変態」することは、可能だろうか。今、急伸中の「comico」や「Lineマンガ」などのコミックサイトも業務合体型であるが、出版社からのアプローチではない。「dマガジン」では書店や、商品企画と言う役者の役割を、何とDoCoMoが果たしている。既にじわりじわりと業態の変化が起きているこの出版界において、成熟しきった出版社、取次、書店などが変態を遂げ、10年後20年後にも、この出版と言う舞台に留まって、いっぱしの役者で居られるだろうか。与えられる役割が大きく変化するのであれば、皆、個性派俳優だけに、その変態は難しいかもしれない。

 しかし幸い、明治20年問題を見れば、この変化は時間をかけてやってくるので、まだ少しだが猶予はある。この間に思い切って自分の役柄を変える、それが我々に求められることだろう。これからが我々の柔軟性が試される時だ。もし、今のはまり役を演じ続けたいのであれば、別の舞台を探す方が得策かも知れない。はたして私自身にそのような変態が可能かどうか自信はないが、今までに経験の無い役を演ずる覚悟はできている。役柄を変えてでもこの出版の舞台に留まりたいと願っている。