電子出版、第一世代の方々の思い出

2024.03.01

イースト  下川 和男

 JEPAは1986年創立で、私は翌年に当時のマイクロソフト(MSKK)古川享さんから「面白い団体が出来ましたよ」と誘われて入会しました。あっという間の38年ですが、JEPA理事で鬼籍に入られた方々の思い出をご紹介します。遠い昔、20世紀のお話です。

西川秀男さん
 2006年没。岩波書店 取締役で、日本初のCD-ROM「広辞苑 第三版」の制作を主導されました。これが1986年で、JEPA設立のきっかけの一つです。ジュラルミンのケースに入った28,000円のCD-ROMについては、DNP吉田安孝さんと富士通 坪倉孝さんの「電子出版クロニクル:電子広辞苑 誕生物語」を参照してください。
 JEPAと同時期にSONY電子ブック(8cm CDを使った携帯型辞書端末)を推進する「電子ブックコミティー」という団体が設立され、西川さんはそちらの会長でした。お酒が大好きで、月例理事会の後は必ず宴会。水道橋の「膳菜や」で後述の山田さんと二人で一升瓶を選ぶ真剣な眼差しが忘れられません。当時は20人で三升くらい飲んでいました。
 料理も得意でコミティー合宿では、研いで細くなったマイ包丁と鮫皮ワサビおろしを持参されていました。
 長谷川秀記さんの「電子ブックと電子ブックコミティーの思い出」のモノクロ写真、中央が西川さんです。

前田完治さん
 2011年没。ドイツ語辞書で有名な三修社の社長で、JEPAの設立から長らく会長を勤められ、日本書籍出版協会(書協)の副会長でもありました。前田さんの文章です。
 かわいがっていただき「出版とか何か」について、印刷所、取次、書店など一から教えていただきました。フランクフルト・ブックフェアで日本の電子出版を紹介する「MEBIC(Multimedia & Electronic Book International Committee)」を組織され、出展のお手伝いで9年間フランクフルトに通いました。その際、世界のフォントをCDに入れ、大量に配布しました。
 「Neverending Dictionary」という世界中の辞書をインターネットでつなぎ、串刺し検索する構想もフランクフルトで発表され、そのお手伝いもしました。
 「書協Books」も企画・推進され、私はシステム開発を担当しました。平成9年9月9日9時9分に書籍のネット検索サービスが公開され、全国紙でも紹介されました。Amazonが日本に進出する3年前なので、大量のアクセスがあり、最初の3日間、まともな検索が行えない状態でした。
 神楽坂の料亭「喜文」に、本やお酒が詰まった「自分の部屋」をお持ちで、研究社や有斐閣の社長さんも、そこで紹介されました。バランタインの30年と12年の飲み比べもさせていただきました。
 警察への助言機関の委員も務められ、免許証をカードサイズにする提案もされたようです。政界での知人も多く、葬儀には小泉、森の両首相経験者も参列されました。(Wikipedia

小山能尚さん
 2011年没。学習研究社(学研)の事典部長としてデジタル化を推進されました。その前は図鑑を編集され、水中カメラで魚類の撮影も担当されていました。鱧も捌く腕前で、コミティー合宿では、西川さんとの包丁さばきが見事でした。
 電子ブックコミティーで、「BBeB(Broad Band e-Book)」というPDFに代わる構造化されたドキュメント形式の仕様策定をSONYの宇喜多義敬さんや技術陣と推進され、IEC TC100 TA10という国際標準規格になりました。BBeBはLIBRIe(リブリエ)というeInk(フィリップス社が開発した電子ペーパー)を使った世界初のスマートな読書端末のデータ形式でしたが、短命に終わりました。後年、Amazonのジェフ・ベゾスは「KindleはLIBRIeを模した」と語っています。
 フランクフルト・ブックフェアにも北京ブックフェアにもご一緒し、北京では、大修館書店からのJEPA理事で、その後、北京対外経済貿易大学で教鞭をとられていた森田六朗さんと、魯迅ゆかりの店で紹興酒を酌み交わしました。

坂本尚さん
 2013年没。農山漁村文化協会(農文協)の専務理事で、発足時のJEPAに参加。戦中派なので、前田さん同様、豪快な方でした。ご自身はパソコンをまったく触られず、短くなった鉛筆を使われていました。農山漁村へのパソコンとネットワークの普及に貢献され「Ruralnet」電子図書館も1996年から推進されています。
 戦争の体験から、農文協の経費で北京に「中国の農業近代化の研究所」を設立され、書協の理事(中国担当)として、よく訪中されていました。「中国に行くと土を踏ませてくれないんだよ」と言われたことがあり、空港からホテル、ホテルから会議場や講演会場などすべて車での送迎だったそうです。書協の月報の表紙に載った、奥様の手を引いて、にこやかに万里の長城を登る写真を、鮮明に覚えています。
 赤坂の向いのビルにソフトバンクの出版部門が入っていて、社長が岡崎嘉平太さんのご子息だったので紹介したり、「書協ホームページ立ち上げサービス」の件でサシで飲んだのも懐かしいです。
 2000年頃の北京ブックフェアでは日本語出版社エリアの3分の1を農文協が占め、中国の方々は「日本最大の出版社」とイメージされたと思います。
 JEPAでは前田さんを支えて、長らく総務委員長をされました。この記事のとおり、何回もJEPAの財政的、人事的な危機を救っていただきました。

長谷川秀記さん
 2017年没。松田真美さん、金原俊さん、関戸雅男さんの前の第三代JEPA会長です。その前が前田さんですが、一時期インプレスの塚本慶一郎さんが会長でした。
 とても親しく、一緒にたくさんお酒を飲んでいたので、急逝されたのはショックでした。業績をWebに残さなければと思い、サイトを作りました
 自由国民社の二代目社長として「新語・流行語大賞」を創設され、今でも年末の恒例イベントとなっています。
 鉄塔ファンとしても有名で、日本で唯一の鉄塔本「東京鉄塔」を2007年に上梓され、その基となったブログの画像がすべてリンク切れになっていることが判明。松田さんと2018年の正月に1400枚のリンク貼りなおし作業を行いました。
 フランクフルト・ブックフェアにも何回かご一緒し、関戸さんと三人でMEBICブースで、昼間からフェーダーヴァイサー(発酵中のぶどう酒)の日々でした。(Wikipedia

金子和弘さん
 2021年没。電子出版第一世代でお酒が飲めないのは、講談社の金子さんと新潮社の西村洋三さんでした。お二人とも若いときの飲み過ぎが原因です。
 越生の自宅に長谷川さんと伺ったことがあり、「大漢和辞典」があったのには驚きました。退職金で越生の古民家を購入され、町並みの保存や文化の発信、お祭りの発展にも尽力されました。
 神保町での宴会の後、越生は遠いので「山の上ホテル」が定宿でした。
 クラシック音楽が趣味で「ニューグローヴ世界音楽大事典」をデジタル化され、その検索システムの開発を依頼されました。しかし担当部門がなくなり、ちょうど、小学館がネットアドバンス社を立ち上げたので、神保町の新世界菜館で金子さん、小学館 鈴木正則さんと密談し、講談社のコンテンツを小学館から販売することが出来ました。英国マクミラン社との版権交渉は、仕方なく私が両社の代理で担当しました。ロンドンの運河沿いの赤煉瓦オフィスで、美味しいミルクティーを何杯もお代わりしました。

山田蕃さん
 2023年没。三省堂のデジタル辞書第一世代の推進者です。NTTドコモ夏野剛さんらの依頼で、iモードのメニューに入りヒット! 紙の辞書ではありえない「ユーザの検索履歴」が提供され、その後の辞書作りに大いに役立ったそうです。 山田さんの文章です。
 毎年、年末年始、5月の連休、お盆の3回、海外に行かれていました。出版社って、ものすごく給料が高いんだ!と思って、後任の部長さんにそれとなく聞いたら、実家が大地主とのこと。海外旅行の写真がたくさん入ったサイトがあったのですが、リンク切れとなってしまい、残念です。Internet Archiveを探したら、トップページなど一部は保存されていました

ご冥福をお祈りします。

左上から右へ、西川秀男さん、前田完治さん、小山能尚さん、坂本尚さん、左下から右へ、長谷川秀記さん、金子和弘さん、山田蕃さん