2019年2月27日 シンポジウム ニュースメディアの近未来

2019.02.25

スマホを主舞台に、ニュースメディアが新旧入り乱れて競争しています。事実報道とオピニオン、組織と個人、オリジナルとキュレーション、有料と無料などがすべてがフラットに並んでいます。そこで、多彩な背景を持つ論者によりニュースメディアの近未来について縦横に議論していただきました。

第一部 ビジネスの観点から 坪田氏、校條氏+討議
第二部 技術:Web/AIなど 藤村氏、松井氏+討議
第三部 ジャーナリズムについて 服部氏+討議

■講師
坪田知己 元日経メディアラボ所長。著書『2030年メディアのかたち』ほか。
     日経でIT専門家のデジタルコミュニティを運営。「日経電子版」の生みの親。
     【⇒プレゼン資料】
服部桂  元朝日新聞社ジャーナリスト学校。著書『マクルーハンはメッセージ』ほか。
     いち早くインターネットやVRを紹介。ケヴィン・ケリーらの注目書を翻訳。
     【⇒プレゼン資料】
藤村厚夫 スマートニュースフェロー。『Journalism』などで執筆。
     デジタルメディア基盤技術と新たなメディアビジネスのあり方を探求。
     【⇒プレゼン資料】
松井正  読売新聞教育ネットワーク事務局専門委員。共著『「ニュース」は生き残るか』。
     内外のニュースメディアの技術やデザインによる表現の先進例に注目。
     【⇒プレゼン資料】
校條諭  メディア研究者。著書『ニュースメディア進化論』ほか。
     明治の新聞以来の歴史への注目とネットビジネス起業経験による独自視点。
     (兼コーディネーター) 【⇒プレゼン資料】



◇開催概要
日時:2019年2月27日(水) 14:00-17:30
料金:JEPA会員社:無料、非会員社:3000円
会場:麹町/紀尾井町:株式会社パピレス 4階セミナールーム
主催:日本電子出版協会(JEPA)

■■旺文社 永江愛子氏からのレポート■■

第1部

<校條さん発表要旨>
・今の新聞は、いわば明治時代の「大(おお)新聞(天下国家を論じる)」と「小(こ)新聞(日常の話題)」を合体させたもの。今日の巨大部数の新聞は、大新聞コンテンツと小新聞コンテンツを抱き合わせにして宅配網を通じて世帯メディアとして大発展してきたが、デジタル化により個人メディアへの変身を迫られている。その際、「大新聞コンテンツ」→サブスクリプションモデル、「小新聞コンテンツ」→無料・広告モデル、という構図ができつつある。ニューズピックスは両者を併せ持つ事業モデルをねらっている。スマートニュースは、キュレーションによりさまざまな「プレイリスト」を工夫している。これからは読者個人自らが、記者や他読者との対話をよりどころにしつつ、プレイリストをつくっていく時代になるだろう。

<坪田さん発表要旨>
・日経新聞は、インテリジェンスのある人へのデシジョン・ポイント・メディア(意思決定をサポート)。
・20世紀は「大衆のメディアの時代」。21世紀は、「パーソナルメディアの時代」。情報価値を決めるのは「受け手」であり、いい受け手を育てるというユーザー教育が大事。
・メディアは、一方向型から双方向型に変化した。今後は受け手同士でもコミュニケーションを行うコミュニティ・メディア型へと変化していく。

<ディスカッション>

【新聞の役割と、「暇つぶし」メディアへの危機、コンテンツの値段】
・新聞は、政治的・経済的な行動のデシジョンメイキングするものとしての役割を果たしてきた。
・ニュースは、「暇つぶし」的に消費されていることに危機感を感じるという意見が出る。それに対し、そもそも明治時代の「小新聞」は身近なネタを扱う「暇つぶし」メディアだったというコメント。今の「大新聞」は明治の「大新聞」と「小新聞」を組み合わせたもので、「小新聞」のコンテンツにはお金をつけて売れないから、無料で見せて広告収入を稼いでいる。
・「小新聞」系コンテンツは無料、「大新聞」系コンテンツは有料という傾向。NYタイムズは、今は低価格で販促しているが、高いプライシングを指向している。同様に、日経も最初から高価格設定。今後は、「大新聞的」な高い記事と、「小新聞」的な無料記事と、住み分けが進むだろうか?という問題提起がされる。それに対して、今後は完全に分かれるという意見が出された。(日経電子版の価格設定は、電子版を安くすることで販売店を潰さないようにという配慮があり、4,000円台となっている)。ただし、ライフスタイル系コンテンツは、事情が異なってくると思う。日経=高級紙と、そうでないものの価格設定は異なってくる。
・サブスクリプションモデルと広告モデルをどう使い分けていくか。日本では、サブスクモデルで残れるのは、全国紙だと売上部数50万から100万部、地方紙は20万部売れれば儲かるだろう。
・情報はタダになりたがる一方、希少情報は高価になりたがる。ネットニュースの黎明期は、スポーツ紙や芸能情報がインターネットと相性がよく、伸びるコンテンツだと思われていた。しかし今、最も厳しいのはそうしたジャンルだ。LINEやYahooから入る配信料でもっているが、収益は厳しい。お金の取れるジャンルは「健康・命・教育」ではないか。

【パッケージメディアの解体】
・従来の新聞は、パッケージ化されたコンテンツを一つのものとして売ってきたが、今はそうしたパッケージが「うざい」と思われるようになってきている。読者が読みたい記事を選べる「プレイリスト」的なものへとシフトしつつある。また、AIが読者の閲覧ログを見て記事をピックアップしてくれるということが起きつつあり、便利さと恐ろしさが同居している。

 第2部

<藤村さん発表要旨>
・既存の新聞は「みんなのニュース」つまり、多くの人が知っているもの。他人が作ったニュースを受け取っていたが、今、重要視されているのは「自分ニュース」。ニュースは自分で決める(リスクもある?)。みんなのニュースと自分のニュースを行ったりきたりする世界になっている。
・AIスピーカーなどが進展(自然言語処理が高度化し、相槌を打つなど、自然なふるまいが可能に)。ジャーナリズムやコンテンツを生み出す手法も変わってきている。
・「パナマ文書」の例のように、ジャーナリズムの知見を共有する国際的協調という動きがある。
・要検証記事の探索。誤報を防ぐシステム開発を、東北大・FIJ・スマートニュース連携で試みている。

<松井さん発表要旨>
・新聞社は「紙の情報をデジタルに」から、「デジタルでなければできない表現」へシフト。膨大な量のデータを可視化して伝える「データジャーナリズム」の例も。
・スマホ時代は、情報プラットフォーム(PF)がなければ読者に届けられない。PFは「フレネミー」。
・新聞社の一部はデジタル移行に成功しつつあるが、世界の新聞社の売上の93%は依然として紙。サブスクモデルと広告を組み合わせて収益を大きくしようとしている。
・AIやブロックチェーンなど、技術革新がメディアに与える影響は大きく、ジャーナリズム組織は収益確保の方法を模索(自前PF構築・業界連携のキュレーションなど)。カギは「コンテンツの信頼性」。

<ディスカッション>

【新聞とテレビ】
・新聞などのメディアは、テレビよりも(発展・今後生き残る)可能性があるだろうか、という問題提起がされる。
・新聞はいつでも見られるから、テレビより価値がある一方、テレビは環境型、新聞は自分で取りに行くメディアということで、共存はできるという意見も。
・テレビは動画作成などの強みはあるものの、動画コンテンツにメタタグをつけていないのでアーカイブできず、過去コンテンツの検索が難しい。タイムライン型カタログの世帯メディアである。
・テレビの、ネットへの進出という話題について。テレビは、YouTubeなどの映像系プラットフォームに素材を提供してお金を得ている。YouTubeは視聴者が見たいときに見られるが、テレビはテレビ局が放送したいときにする(という、発信者優位のメディア)。テレビに、視聴者に関心があるものを取ってきてくれる機能があればよいが、今はそれができておらず、中途半端なものになっている。
・テレビは、今も視聴率第一主義で個別の視聴者の方は向いていない。また、災害時とスポットに特化し、連ドラグッズや不動産収入といった、放送外収入から利益を得る構造になっている。
・新聞は新聞で、販売店が読者リストを握っており、新聞社は読者像がよく見えていない。

【自分メディアについて】
・「自分メディア」は正しい方向性か。自分の欲しい情報だけ集まるのは危険ではないか。共通認識がないと、社会が成り立たない。共通認識を作るのが、ジャーナリズムの役割ではないか。
・共通認識としての「みんなのニュース」のレベルを上げる必要ある。ただし、新聞社はアジェンダセット機能があり、視点の固定化を免れず、今は新聞一紙を読んでいればいいという時代ではない。様々な情報を集めることができるし、その必要がある。
・報道のソースがいろいろあると、受け手はバランスが取れた情報収集ができる。「アグリゲーション(集約されたもの)」として、ちゃんと裏取りしている媒体がいくつか集まっていたらよいのではないか。
・メディアは供給者論理から需要者論理へと移行し、現在は、「自分メディア」が求められているが、新聞などの従来型メディアは、いまだに供給者目線のままだ。実際には、東浩紀が「動物化するポストモダン」で言っていたように、(共同体共通の知識という「大きな物語」が失われ)情報をザッピング・いいところどりする、ネットの論理が支配する世界になっている。
・新聞社は「わかっている人」、受け手は自分で「プレイリスト」を作る人。そこにミドルの人として、まとめメディアを発信する人がいる。新聞社はミドルの選別眼と契約し、新聞社外部の目利きに、コンテンツのピックアップを頑張ってもらうという方向もありではないか。

 第3部

【服部さん発表要旨】
・新聞は部数第一主義のマスとしての既存のやり方にこだわっているかもしれないが、時代のニーズを捉えて商売しないといけない。
・インターネットの登場で、「垂直方向からの情報(新聞社から読者へ)」から「水平方向に広がる情報(読者から読者へ)」へと構造が変化した。
・新聞のはじまりはオピニオン誌で、政治はこうあるべきという神の視点から書かれた。19世紀の電信や電話、無線といった電子メディアの登場で、取材対象が爆発的に広がったので、それに広告をつけ、寄せ集めの著者のものを安く売るようになり、マスマーケットの誕生によりマスメディアが誕生した。
・人は自分が世界の中心に見えるもの(リアル)にしかお金を払わない。

<ディスカッション>
【新聞の果たす役割】
・情報の整流器としてのメディアがあり、近代はその黄金時代だった。「社会の窓」としての役割を新聞が果たしていたが、ネットの登場で相対化された。新聞は、裏を取り、確実な情報を出すところに価値はあるが、外のものとどう掛け合わせるかが課題だ。入力・処理・出力の問題。情報をプールしておいて、プール量により課金するなどもありうる。
・「Yahooは新聞の敵」のように言われるが、Yahooはページの作り方がうまい。それに比べ新聞社のサイトは、企業広告をくっつけているだけで、ニュースを読んだ人のその後のリアクションへと、うまく接続できていない。新聞を見るという「入口」の後の行動に、ビジネスチャンスがある。生活に根ざして、読者がどういうことを求めているか。折々の話題や社会活動など、新聞には新聞でできることがあるのではないか。
・新聞では昔、料理記事などが人気だったが、今は、レシピ記事はクックパッドを見ればいいという状況。クックパッドは、個人と直接つながり、ユーザーが自分のレシピを発表する場にもなっている。新聞社が新たに読者と直接つながり、パーソナルな対応が求められるのではないか。
・たとえば、「いじめ問題」は、単なる情報ではなく、ジャーナリズムだ。記者が取材し、情報を集めて整理することで記事できる。新聞は流通が下手だというのは良くわかる。ニュースは無料で手に入ると思われてしまっている。コンテンツ自体を売るのが難しいのであれば、読み比べをするプラットフォームがあったらいいと思う。
・近代人は忙しくなり、ストレスにより無意識がヒステリーを引き起こすという理論をフロイトが提唱することになった。(ストレスを抑えるという文脈で言うと)新聞はニュースではなく、「新聞を購読している」という、生活の安心感や安全を売っているのではないか。新聞により「国語」が意識され、「日本人としての一体感」といったナショナリズムが生成された。クローズした共同体意識を作るのがマスメディアの機能であるのに、今の新聞は、感情を担保するメディアになっていない。
・かつて新聞は(知っておくべき情報を教える)「教師」だった。今後は、メンターやファシリテーター的な役割が必要になるのではないか。地方紙、コミュニティ密着といった性質に近いものだろう。

■会場からの質問①:コンテンツに対して、読者からいかにお金を払ってもらうか。
・愛読誌にお金を払うことは成立するだろうが、全メディアに同じように払うかどうかは疑問だ。次のステップとして、面白いものをまとめて整理し直し、付加価値をつけて高品質で提供することが挙げられる。音楽ならSpotify、アマゾンなど。複数のサービスに対してお金は払えない。切実な情報にお金は払うが、そうでないものは納得感のあるものでないとお金を払わないのではないか。
・医療と教育の分野は、お金を払ってもいいと思える情報だ。自分の生命や希少性の高いものに対して、読者はお金を払うのではないか。その一方、Spotifyやアップルミュージックに希少性はなく、コモディティにもお金を払うという一面もあるのではないか。
・コンテンツを買うということは、実は「安心」にお金を払っている。コンテンツを買うことで、実は「平常心」を買っているのではないか。
・コンテンツにお金を払うときは、そこにお得感がある。提供側は、いわばファシリテーター。それぞれのニュースには、そこに至るような背景があり、今、その一部だけを扱った記事を読んでも理解しづらい。理解を促す、そのニュースを俯瞰して見られるメディアがあるといいと思う。外部の、特定のテーマに強い人にまとめてもらう、電子版の俯瞰記事というのがあってもいいのかもしれない。
・新聞を読む人は、逆説的だが「新聞を読まないため」に買っている。「今日のニュースを知っています」と人に言えて、恥をかかないようにするためのものだ。自分で調べることもできるが、それだと時間がかかるから、新聞社の責任で、情報に価値づけしてもらい、読者はそれを買う。新聞は「手抜き料理」みたいなもの。その中で、今は読者の多様なニーズを取り込めるかということが重要になる。

■会場からの質問②:今ある新聞が、それぞれが存在しうる価値(読者に提供している価値)とは何か。
・毎朝・毎夕届けるということが価値ではないか。地方紙は地域と世界の視点を届ける。読売新聞では、家庭・医療・健康や人生案内など暮らしに根ざしたコンテンツが強い。ただ、社内の各部は、「自分のところの記事が一番だ」と思っており、何が強みというのは特に打ち出してはいない。
・新聞の全購読部数は4,000万部で、ピーク時は5,000万部あった。メジャー3紙でシェアを分ければという声もあったが、どこも似たような記事になってしまっている。アメリカだとメディアがアイデンティとして、政治的立場の右左を掲載している(読者が保守・リベラルの政治的オピニオンを形成するもの、という価値を提供している)。日本もだんだんアメリカのようになるのではないか。

■会場からの質問③:偏向報道がなくならないのはなぜか。(辺野古基地に関する住民投票結果をNHKが取り上げてないという例を出して)
・まったく報道してないということはないのではないか。トピックを取り上げる時間も、各社違う。
・報道方針について、各社がどういう立場かを明示すればいいのではないか。新聞はベストエフォートでやっているが、(あらゆる情報をきちんと報道しようと心がけても)限界がある。
・新聞社にいたときの経験から言うと、外からの圧力で記事を止めるということは絶対ない。お歳暮のときは、出稿規模の大きい広告主を取り上げることくらいはあるが。
・信頼性を保つためにアルゴリズムを開示しないのか、という質問と理解した。アルゴリズムの内容は、コードを含めて開示することはできない。報道倫理綱領を出すことは可能だ。スマートニュースは、コモディティとしてニュースを届けるという方針で運営している。一つの話題を巡って集中的に集めるのではなく、情報の多様性を担保する。様々な情報に当たる方がいい。

以上